宗澤政宏がお届けする、社会貢献に関する紹介

宗澤政宏氏と日本写真映像専門学校その2

【要約】

宗澤政宏氏が運営に携わっている日本写真映像専門学校は数々の優秀な卒業生を輩出してきました。

今回はそんな卒業生の中から、木村伊兵衛写真賞を受賞している浅田政志氏と梅佳代氏を取り上げ、両氏が在学中に何をしたのか、何を学んだのかについてご紹介します。

 

 

【宗澤政宏氏と日本写真映像専門学校】

前回の記事で、教育者・宗澤政宏氏と日本写真映像専門学校の関係性をご紹介してきました。

そこで日本写真映像専門学校が誇る高い教育水準やカリキュラムの魅力についてはご理解いただけたかと思います。

この記事では、そんな日本写真映像専門学校が輩出してきた卒業生のうち、浅田政志氏と梅佳代氏について特集したいと思います。

 

2名は木村伊兵衛写真賞の受賞者であり、現在業界の最前線で活躍されている方です。

そもそも、木村伊兵衛写真賞とは、1975年に朝日新聞社によって創設された賞で、毎年写真の創作に優れた成績を上げた新人に贈られます。

「写真界の芥川賞」とも称されるこの賞の受賞者を2名も輩出している専門学校は他に類を見ません。

 

【浅田政志氏について】

浅田政志氏は1979年に三重県で生まれました。

2000年に日本写真映像専門学校を卒業すると、在学中から精力的に製作にあたっていた家族演出写真で脚光を浴び、2009年に写真集『浅田家』で第34回木村伊兵衛写真賞を受賞します。

 

その後、

『Tsu Family Land 浅田政志写真展』

『記念日をつくる記念写真 浅田政志写真展』

『六本木ヒルズ・森美術館10周年記念展 LOVE展:アートにみる愛のかたち』

など数々出展するなど、第一線で活躍しています。

 

そんな浅田政志氏ですが、日本写真映像専門学校在学中のある出来事が自身を飛躍的に成長させたとインタビューで語っています。

ある日授業の課題で「たった1枚で自分を表現しなさい」というテーマが出されたそうです。

しかし「たった1枚」で自分を表現することはとても難しく、悩み抜いた結果、「家族の写真を撮る」という結論に至ります。

浅田政志氏曰く、「自分が死ぬときに病室で眺めたい写真は何だろうか」と自問自答したところ、やはり家族の写真だろう、と結論付けました。

 

これを元に、卒業製作でも家族をテーマにした写真を取って学校長賞を受賞します。

そして数年後、やはり家族をテーマにした写真集「浅田家」を作り、木村伊兵衛写真賞を受賞するのです。

在学中に受けた教育が、浅田政志氏の写真家人生を大きく左右したのです。

 

 

【梅佳代氏について】

梅佳代氏は1981年石川県に生まれました。

彼女はなんとなくテレビを見ていたときに、野球のイチロー選手のカッコよさに惹かれ、「イチロー選手に近づきたい、そのためにスポーツカメラマンになる」

と決意し、日本写真映像専門学校に入学、写真のイロハを学びました。

 

そんな彼女の写真の特徴は「そのまま・ありのままの姿を撮る」ということです。

プロ・素人を問わず、写真を撮ろうと思ったら、何かと飾ってしまうことが多いのですが、梅佳代氏はありのままの姿を写真に収めるという姿勢を貫き、周囲から高い評価を得るに至りました。

 

彼女が日本写真映像専門学校在学中に製作した『女子中学生』という作品では、梅佳代氏が個人的に仲良くなった女子中学生の協力を得て、女の子のありのままの姿、性への憧れや興味をストレートに表現した写真を撮影、高い評価を集めました。

 

そして2006年に出版した写真集『うめめ』で木村伊兵衛写真賞を受賞します。

『うめめ』の表紙を飾ったのは「お菓子を持った幼い女の子が仰向けに倒れる瞬間」を捕えた写真で、彼女の写真への考え方を如実に表すものといえます。

 

 

【最後に】

浅田政志氏と梅佳代氏についてそれぞれご紹介してきました。

両氏がいかに優れた人物であるかがご理解いただけたと思います。

今回は2名だけでしたが、他にも大勢の優秀な人材を業界に供給しているのが日本写真映像専門学校であり、その運営に携わっている宗澤政宏氏の教育者としての功績は疑う余地は無いでしょう。