【要約】
宗澤政宏氏が運営に携わっている日本写真映像専門学校は長い歴史の中で数多くの人材を輩出してきました。
今回は素晴らしい卒業生のなかから、にスポットライトを当てます。
【はじめに】
全国でリゾートホテルを展開しているダイヤモンドソサエティの代表・宗澤政宏氏は日本写真映像専門学校の運営にも携わっています。
過去3回に引き続いて、そんな日本写真映像専門学校が輩出した素晴らしい卒業生をピックアップして紹介したいと思います。
【日本写真映像専門学校の卒業生・周秀泉さん】
周秀泉さんは中国・上海出身の中国人写真家です。
周さんが写真と触れ合ったのは、周さんが中学3年生のとき。
担任の先生が卒業記念写真を撮ってくれた際、先生からカメラを借りてレンズをのぞいたり、本体を触ってみたり…。これが周さんと写真の最初の出会いでした。
文化大革命の混乱期の高校時代は、知人からカメラを借りて友人と天安門などに撮影旅行に出かけた周さん。
兵役中も、宿舎の一角に簡単な暗室を作り、カメラで同僚を撮影して、焼き付けてプレゼントしたところ「故郷の家族に送る兵士が多くて大変喜ばれた」といいます。
1975年からは上海・華東師範大学で働き、スライド製作のほか、一般教養の選択科目として学生に写真全般について教えていましたが、そんななか、79年に上海で開かれた「日本図書展覧会」で、日本の写真技術の高さを知り、驚いたそうです。
日本の高度な書物を読みふけり、「添えられていた写真や図を参考にして、日本語の漢字から意味を類推して必死にメモを取った」と振り返る周さんは、これを機に来日、日本写真映像専門学校に入学します。
そこから日本で写真を学ぶ日々が始まります。
睡眠時間を削り、アルバイトもしながら、必死で勉強を続けたそうです。
卒業後、年に数回、自動車にカメラ機材、食料、寝袋などを積み込んで、日本各地を旅しては写真を撮る生活を続けており、その道中で様々な日本の姿を肌で感じるそうです。
日本は中国と比べて国土は狭いものの、バラエティあふれる景色が広がっており、例えばある年は、高山で紅葉を撮影したあと、上高地へ向けて走り、トンネルを抜けるとそこには雪が積もっていたそうです。
景色だけでなく、日本人の国民性にも感銘を受けるそうで、長崎県の民家のそばでテントを張らせてもらったときには、家の人がトイレや毛布の心配までしてくれたことがあるそうです。
またあるときには、追突事故を起こしてしまったが、相手に逆に同情されて宿泊の世話をしてもらったそうです。
「桜の花はどこで撮ったらいいかなどの質問にも、丁寧に答えてくれる人が多い。人情に触れて撮影旅行がすっかり好きになった」
と言います。
そうした経験を経て、「日本は第二の祖国」と語る周さんが発表する作品は、心に残る日本の美や触れ合った人々をダイナミックにとらえたものばかり。
「日本の写真教育をできるだけ広く体験し、中国での教育に役立てたい」
と考え、中国の写真雑誌に日本のカメラの紹介記事を執筆することも。
近年、経済力の向上にともない、日本を訪れる中国人の数は増加する一方です。
周さんは、写真を通じて、中国の人々に日本の本当の姿を届けたいと思っているそうです。
【最後に】
周さんのように、日本写真映像専門学校には、国籍を問わず、写真を学びたいと思う人々が集まり、互いに切磋琢磨し合って個々の技術を高めています。
日本写真映像専門学校は日本屈指の学校として、これからも素晴らしい人材を育成し、社会に貢献していくことでしょう。
そして何より、その運営に宗澤政宏氏が携わっているということも忘れてはいけません。宗澤政宏氏の教育者としての活躍も、今後より一層期待できそうです。