【要約】
宗澤政宏氏が運営に携わっている日本写真映像専門学校は写真業界に数多くの人材を輩出してきました。今回は、そんな卒業生のなかから、渋谷利雄さんにスポットを当てます。
【はじめに】
ダイヤモンドソサエティの代表として知られる宗澤政宏氏は、日本写真映像専門学校の運営にも携わっています。
先月に引き続いて今月も、そんな日本写真映像専門学校の卒業生のなかから、数人の方をピックアップしてご紹介していきます。
今回紹介するのは、渋谷利雄さんです。
【日本写真映像専門学校の卒業生・渋谷利雄さん】
渋谷利雄さんは1936年、石川県押水町生まれの方です。日本写真映像専門学校を卒業し、現在は日本写真家協会会員、三軌会写真部会員、羽咋市文化財審議委員として活躍されています。
そんな渋谷さんが「能登の三朱」を撮影し始めてから、50年以上が経ちました。
能登の三朱とは、祭りのキリコ、外浦に沈む夕日、五月ごろに真っ赤に咲くのとキリシマツツジのことを指します。
振り返ると、日本写真映像専門学校を卒業したのち、写真店を営む傍ら、羽咋周辺で盛んな獅子舞の写真を撮り始めたのが諸々のはじまり。
1960年代後半、珠洲・蛸島で初めて見たキリコの魅力に取りつかれたといいます。漆が塗られ、金箔が施されたキリコは、何とも鮮やかだったそうです。
「キリコ祭りだけで百カ所以上は行っとる」と語る渋谷さん。写真集も出版しました。
中でも宇出津のあばれ祭(能登町)や石崎奉燈祭(七尾市)、寺家大祭(珠洲市)は、毎年欠かさず出かけます。「寺家大祭は明け方が面白い。朝日に染まり、海に映る姿がいい」。
キリコ祭りに出かける道すがら、夕日の撮影もしてきました。
輪島市曽々木海岸の窓岩の夕日のお気に入り写真は、タペストリーに。
窓岩から夕日がのぞいているカット。波がひいた砂浜が金色に染まっています。
「海が荒れた後じゃないと駄目。年に何回しかない」。夕日だけでも百カ所以上で撮影してきました。
特に近年、力を入れているのは、のとキリシマツツジだといいます。
珠洲市の大谷で県天然記念物の花と出合い、夢中で撮るようになったとのこと。
花の由来を求め、南九州へ自生のキリシマツツジを見に出かけたことも。
撮影時には、時間帯や天候を考慮し、実物よりもいかにきれいに見せるかを考えているそうです。
そんな渋谷さんにとって、三朱の1つであるキリコ祭りが減少しているのが気掛かりだそうで、「祭りが消えていっている。キリコ祭りだけでも四分の一はなくなっとる」と語ります。
祭りの減少は、過疎化による人手不足が原因。
「祭りを維持していくのは大変。能登から小さな祭りが消え、大きな祭りしか残っていかないかもしれない」。
伝統的な祭りが、今後も存続していくことを祈るばかりです。
【渋谷利雄さんと梅佳代さんの意外な関係】
そんな渋谷さんですが、実は過去の記事でご紹介したことのある写真家・梅佳代さんと親交があるそうです。
なんでも、渋谷さんはアエノコト(石川県でおこなわれている新嘗の祭礼)を撮影するために、梅さんの実家に30年以上も前から通っていたそうで、梅さんのことは「柱によじ登っている時から知っている」というほどの仲だそうです。
渋谷さんの写真のなかには、幼き頃の梅さんを撮影したものもあるのだとか。
しかも、梅さんに日本写真映像専門学校への進学を勧めたのも渋谷さんだそうで、偉大な写真家であるおふたりを繋ぐ意外な共通点には驚かされるばかりですね。
【最後に】
今回紹介した渋谷さんのような、素晴らしい写真家を多く輩出する日本写真映像専門学校。その運営に携わる宗澤政宏氏の功績は、世代を超えて後世まで影響を及ぼし続けることでしょう。