宗澤政宏がお届けする、社会貢献に関する紹介

日本写真映像専門学校を卒業した人々㉙

【要約】
この記事では、宗澤政宏氏が運営に携わっている日本写真映像専門学校の卒業生の活躍をご紹介しています。

【はじめに】
宗澤政宏氏が運営に携わっている日本写真映像専門学校は、長年にわたって写真界に数多くの優秀な人材を輩出してきたことで知られています。
今回も、過去の記事に引き続いて、そんな日本写真映像専門学校の卒業生のなかからピックアップして、その方の活躍をご紹介していきます。今回ご紹介するのは、安森信さんです。

【日本写真映像専門学校の卒業生 安森信さん】
安森さんは高校生のときはお笑い芸人のダウンタウンさんに憧れてお笑いの道を志していました。しかし、母親から「頼むから専門学校までは卒業して」と言われてその夢を諦め、代わりに進学したのが日本写真映像専門学校でした。

もともとお笑いが好きだったこともあり、映像学科で映像を学びました。
1年生のとき、「映像の基本は写真だ」ということで、スナップ写真を撮って現像してプリントする、という授業がありました。このとき、暗室に像が浮かび上がったのを面白いと感じ、写真の道に進むこととなりました。

日本写真映像専門学校を卒業した後は、東京にある大きな広告写真のスタジオに勤めましたが、朝から深夜までの1日中ブツ撮りばかりをする毎日で、睡眠時間はわずか2~3時間しか確保できなかったそうです。この生活では体力・精神的に厳しいと感じたため、スタジオを退職、実家に戻ることになりました。

しかしながら、せっかく両親にお金を出してもらって日本写真映像専門学校で学んだにも関わらず、学んだことに関係のない仕事をするのも…、と考えた安森さんは、地元のケーブルテレビ局に入社しました。仕事は撮影から編集、ニュース記事にまで多岐に渡り、充実した生活を送ったそうです。

安森さんの写真が評価されるのは、「暗いところばかりを撮るより、よいところを撮りたい」という想いから、被写体である人に対して愛情を持ち、美しく輝いている写真を撮るからです。
「女性讃歌」という作品では、60歳を過ぎても現役でいる人はカッコいいを思って働く女性にカメラを向けました。被写体を探すときには、良く出入りするホテルで働く60代の女性に声をかけたりすることもあるそうです。撮影の際には、撮影したカメラを見せながらコミュニケーションを図り、「タバコを吸ってみたらいいんじゃないいか」などの演出を加えていきます。

写真を撮りながら、その人が歩んできた人生について尋ねることもあります。
たとえば60歳前後のトリマーの方を撮ったときには、外国の映画で女性がトリマーをやる姿を見て憧れて上京したという話を聞いたそうです。

当時、女性のトリマーは少なかったため、男性に弟子入りして学んだこと、まったく休みがなく、怪我をしても包帯を巻いて仕事に行ったこと、美空ひばりさんや大企業の社長のペットの担当もしたことがある…、などの話を聞いて、驚いたことがあるそうです。

現在はケーブルテレビ局を退職している安森さん。作家として独り立ちできる自信が湧いてきたことや、そのままケーブルテレビ局にいては埋もれてしまうのではという想いから、作品作りに専念するための決断だったそうです。

安森さんが目標にしている作家は荒木経惟さん。20歳のころ「センチメンタルな旅・冬の旅」を見て涙をながしたことがあり、とても愛情があふれる人だと感じたそうです。

今後の目標は「忘れられないように作品を作り続けていくこと」。0歳から10歳、10歳から20歳と、各世代の女性たちに好きなことをしてもらって撮影する「女性図鑑」というシリーズを発売するなど、いずれは世界で展示される作家を目指して、安森さんの活躍はまだまだ続いていきそうです。

【最後に】
宗澤政宏氏と日本写真映像専門学校は、これからも写真・映像界をけん引する逸材を育成し続けることでしょう。