【要約】
この記事では、宗澤政宏氏が運営に携わっている日本写真映像専門学校の卒業生の活躍をご紹介しています。
【はじめに】
宗澤政宏氏が運営に携わっている日本写真映像専門学校は、長年にわたって写真界に数多くの優秀な人材を輩出してきたことで知られています。
今回も、過去の記事に引き続いて、そんな日本写真映像専門学校の卒業生のなかからピックアップして、その方の活躍をご紹介していきます。今回ご紹介するのは、梅佳代さんです。
【日本写真映像専門学校の卒業生 梅佳代さん】
梅さんが写真を撮り始めたのは高校時代のこと。使い捨てカメラなどを使って家族や友だちを撮影しました。誰よりも構図が良く、友だちも実力を認めてくれたことから、日本写真映像専門学校への進学を決意します。
実は「一瞬、陶芸家になりたいと思ったこともある」という梅さんですが、陶芸家では憧れのイチロー選手に出会えないという判断から写真家の道を選んだそうです。
日本写真映像専門学校ではじめて一眼レフのフィルムカメラを手にした梅さん。
シャッターチャンスを逃さないように、朝起きてから寝るまで、カメラを傍らに置くのが習慣になったといいます。「ハッと思った瞬間にシャッターを切る。発見するという感じがして、どんどん楽しくなっていきました」。
写真を撮り始めてまもなくのこと。若手の登竜門であるコンテスト「写真新世界」で佳作を獲得すると、連続して受賞、その類まれな才能を開花させていきました。
「荒木経惟さんから賞を頂いたりして、とにかくいろんな人が私の写真をベタ褒めしてくれたんです、立て続けに。それが本当にうれしくてヤッターって調子に乗り、気づいたら今に至っていたという感じです」。
日本写真映像専門学校を卒業すると上京。ベビー用品を扱うお店でアルバイトをしながら、写真家としての活動を開始します。バイトはあえて写真とは関係のない仕事を選んだとのことで、バイト先の主婦や運送屋たちとの世間話が勉強になったと振り返ります。
そして梅さんの名前を一気に世間に知らしめることになる、写真集「うめめ」が2006年に発売。このブレイクをきっかけにアルバイトは辞めました。
写真家としての「挫折」は今のところ経験したことがないと語る梅さん。
「自分がスランプだと思った瞬間にスランプは始まる」との考えから、変に落ち込んだり弱気になったりしないよう意識しているそうです。
これは、若い頃の失恋で学んだ教訓なのだとか。「悲しくて落ち込んでも自分が苦しいだけ。だったら落ち込んでも仕方ない」。ちなみに、いちど始めたら大変でキリがないという理由から「縁担ぎ」のようなこともしないそうです。
梅さんは、だれを撮るときでも憧れのまなざしでカメラを向けます。
梅さんの代表作「男子」のシリーズでは、少年たちのバカすぎて訳が分からないところが逆にカッコよいと感じ、「じいちゃんさま」のシリーズでは、じいちゃんが好きすぎて、亡くならないでほしいという尊敬の念がありました。「同じ人を撮っていても、そのたびにいろいろな発見があり、それが自分にとって勉強になる」と話します。
憧れの芸能人を撮影する機会も増えました。やはり第一線で活躍している人は特に輝いているといいます。「撮っていて楽しいので、ウハウハしちゃう。浮ついた気分になります。あ、でも、キラキラしてない人も気になる。撮りたくなる」。
どんな被写体に対しても本能的に愛情を注ぐ梅さん。だからこそ、梅さんの写真からは人間の温かさが伝わってくるのでしょうか。
【最後に】
宗澤政宏氏と日本写真映像専門学校は、これからも梅さんのような素晴らしい写真家を輩出し続けることでしょう。