宗澤政宏がお届けする、社会貢献に関する紹介

日本写真映像専門学校を卒業した人々㊲

【要約】

この記事では、宗澤政宏氏が運営に携わっている日本写真映像専門学校の卒業生の活躍をご紹介しています。

 

【はじめに】

宗澤政宏氏が運営に携わっている日本写真映像専門学校は、長年にわたって写真界に数多くの優秀な人材を輩出してきたことで知られています。

今回も、過去の記事に引き続いて、そんな日本写真映像専門学校の卒業生のなかからピックアップして、その方の活躍をご紹介していきます。今回ご紹介するのは、鋤田正義さんです。

 

【デヴィッド・ボウイとの出会いは、ロンドンの街角だった】

鋤田さんがデヴィッド・ボウイを知ったのは1972年、ロンドン滞在中のことでした。新しい音楽シーンの代表者であったT・レックスの撮影のためロンドンを訪れていましたが、街中でふとボウイのポスターを発見し、彼の存在が気になり始めましたといいます。

 

T・レックスは70年代から日本の音楽業界で注目を集めていました。なぜT・レックスを撮ろうと思ったかというと、化粧をしていて面白そうな連中だな、と思ったからでした。

 

【ロンドンで生まれた新たな音楽シーンを撮るため、ロンドンを訪れていた】

振り返れば、鋤田さんが初めて海外に行ったのは1970年のアメリカでした。

前年に開催されたウッドストック・フェスティバルに興味を持ったことがきっかけでした。

 

この年にアメリカを訪れたのは、アンディ・ウォーホールやロックなどの若者文化に直接触れたいと感じたからでした。ニューヨークをはじめとするアメリカでは、68年をピークとしてヒッピー文化が徐々に衰退しつつありました。反ベトナム戦争の運動は継続していましたが、ラジオからはジェイムズ・テイラーやキャロル・キングの音楽が流れ、戦地に赴く兵士たちを癒すラブソングを聴き、時代の変革を感じたそうです。

 

同時期、ロンドンではグラムロックと呼ばれる新しい音楽が生まれつつあり、それがT・レックスでした。アメリカの音楽とは異なる退廃的な雰囲気に関心を抱き、鋤田さんは写真家としてその様子をシャッターに収めたいという欲求が芽生えたため、ロンドンを訪れたのでした。

 

【宿泊していたホテルのアルバイトからボウイの情報を聞いた】

鋤田さんは、ロンドンでミュージシャンたちの写真を撮影するにあたって、相手方に自身のポートフォリオを見せて撮影を申し込んでいました。ボウイに見せた写真も、その中のひとつ、当時若者向けのブランドとして人気だったJAZZのために撮った写真でした。

 

鋤田さんは、宿泊していたロンドンのホテルで受け付けを担当していたアルバイトの学生から、ボウイのことを聞きました。その学生は「ラジオで聞いた誰々の番組が面白いから聴いたら良いよ」とよく鋤田さんと会話をしていて、そのなかでボウイのコンサートのことも教えてくれたと話します。その後、スタイリストの高橋靖子さんを介して、ボウイに写真を見せたところ、ボウイは鋤田さんの写真を大変気に入り、撮影の許可が下りたのです。

 

【ボウイの“かっこいい写真”を撮りたかった】

鋤田さんがボウイを撮るときに意識していたことは、「かっこいい写真を撮りたい!」ということでした。鋤田さんはメインとしてメンズファッションの仕事をしていたため、マーク・ボランも、ボウイも、最初は男性モデルとして接しました。

彼らは20代で、鋤田さんは30代と年齢差はありましたが、逆に彼らを冷静に観察し作品にしていくには好都合でした。

 

 

【最後に】

ロンドンの街角に飾られていたデヴィッド・ボウイの写真を見た鋤田さんは、ボウイの写真を撮ることをきっかけに、世界的に評価されていくことになります。鋤田さんのように、世界で活躍する写真家を輩出するのが日本写真映像専門学校であり、その運営に携わるのが宗澤政宏氏なのです。