宗澤政宏がお届けする、社会貢献に関する紹介

日本写真映像専門学校を卒業した人々56

【要約】

この記事では、宗澤政宏氏が運営に携わっている日本写真映像専門学校の卒業生の活躍をご紹介しています。

 

【はじめに】

宗澤政宏氏が運営に携わっている日本写真映像専門学校は、長年にわたって写真界に数多くの優秀な人材を輩出してきたことで知られています。

今回も、過去の記事に引き続いて、そんな日本写真映像専門学校の卒業生のなかからピックアップして、その方の活躍をご紹介していきます。今回ご紹介するのは、渋谷利雄さんです。

 

【能登の三朱を記録・発信する】

能登の祭りを写真に収めることがライフワークとなっている渋谷さんですが、そのほかにも撮影をしていることがあります。それが、「のとキリシマツツジ」「キリコの灯火」「日本海の夕日」の3つで、渋谷さんはこれらを「能登を彩る三つの朱」と呼んでいます。

 

「のとキリシマツツジ」は、深紅の色が鮮やかな能登のお花で、5月に開花するものの4~5日で散ってしまうことに加えて手入れも難しいといいます。

そのため、能登全域でも300本ほどしか咲いておらず、それらの大半は民家で栽培されています。

 

渋谷さんはこれまで多くのキリシマツツジを撮影してきましたが、民家で栽培されているものを尋ね歩いて撮影するという作業は、渋谷さんだからこそできるものです。2010年には東京でキリシマツツジの写真展を開催して、多くのお客さんを動員しました。2011年にはキリシマツツジの本場である鹿児島から人が視察に訪れ、能登キリシマツツジの鮮やかさに驚いたことがあったそうで、能登が誇る花に自信を持ったそうです。

 

「キリコ」は切子灯篭の通称で、神輿で担いて運びます。直方体の形をしています。大きさは高さ16メートル、重さは2トン、担ぐためには100人ほどが必要です。キリコはもともと、神様が夕涼みするときに神様の足元を照らすためのものでした。それが現在までに発展を続け、およそ150か所でキリコ祭りが開催されるまでにいたりました。さらにキリコの種類も豊富で、能登全体で800基ほどが存在します。

 

渋谷さんはほぼ大半のキリコ祭りを訪れて写真を撮ってきました。そこでは地域ごとに独自に発展を遂げたキリコの姿でした。キリコの原型と言われている「笹キリコ」に似たタイプ、担がないタイプ、あるいは京都の文化から影響を受けたタイプと、さまざまなタイプがあり、大きく種類を分けると25タイプほどに分けられるそうです。タイプの違いに着目しながらキリコを眺めるのも楽しいといいます。そういったキリコの違いに気づくことができるのも、各地の祭りを歩いて見て回っている渋谷さんだからこそです。

 

そして、「日本海の夕日」です。キリシマツツジやキリコとは異なり、基本的に夕日はいつでも撮影ができる風景です。しかしながら、“三朱”のなかで夕日の撮影が最も難しいと渋谷さんは話します。曇りや雨のときに撮影ができないのはもちろんですが、逆に天気が良ければよいという訳でもありません。

 

渋谷さんのおすすめは、曽々木海岸の夕日です。この海岸には「窓岩」という撮影スポットがあります。これは大きな岩の真ん中に穴が開いているのですが、この穴に夕日が重なった瞬間が撮影のベストタイミングなのだそうです。夕日の撮影はポイントとタイミングがすべてなのですが、これらをとらえるには地元の人間の方が好都合なのは明らかです。だからこそ、能登の写真を撮り続けてきた渋谷さんにしか撮れない夕日の写真が生まれるのです。

 

“三朱”を撮り続けてきた渋谷さんですが、その数は50万枚ほどにのぼるそうです。これからも渋谷さんは能登の魅力を記録し、発信するために写真を撮り続けます。

 

【さいごに】

宗澤政宏氏と日本写真映像専門学校の卒業生たちは、これからも日本や世界の風景や文化を写真に収め続けることでしょう。