宗澤政宏がお届けする、社会貢献に関する紹介

日本写真映像専門学校を卒業した人々58

【要約】

この記事では、宗澤政宏氏が運営に携わっている日本写真映像専門学校の卒業生の活躍をご紹介しています。

 

【はじめに】

宗澤政宏氏が運営に携わっている日本写真映像専門学校は、長年にわたって写真界に数多くの優秀な人材を輩出してきたことで知られています。

今回も、過去の記事に引き続いて、そんな日本写真映像専門学校の卒業生のなかからピックアップして、その方の活躍をご紹介していきます。今回ご紹介するのは、浅田政志さんです。

 

【宮城県で漁師の写真を撮った浅田さん】

2015年の夏。お盆が明けた後も暑さが厳しいなか、浅田さんは宮城県気仙沼市に向かいました。「つばき会」という地元のグループが東日本大震災の後に考案した、「気仙沼漁師カレンダー」の撮影のためでした。

 

その名の通り、漁師の姿を撮影したカレンダーになるのですが、肝心の漁師は、いつ港に帰ってくるか分かりません。漁の進捗具合で港に帰ってくる日にちが大きく変わってしまうからです。そのため浅田さんは朝5時から海を見つめながら船が帰ってくるのを待ちました。

 

寄港の知らせが届いたら、すぐに現場に直行、まずは船を停泊させるために縄を港に渡す瞬間を撮影、続いて漁師たちがカツオを両手で抱えながらバケツリレーの方式で水揚げする様子を撮影します。

 

圧倒的な迫力を目の当たりにしながら、浅田さんは「漁師カレンダーの撮影をさせてもらってもよいでしょうか…」と質問。すると、「船頭に聞いてくれ!」という返事。船頭は文字通り船の頭で、漁師を束ねるリーダー的存在です。一度海に出たら数週間は陸に戻れないという過酷な状況のなかで、仲間をまとめます。

 

撮影の許可が下りたため、漁師にカメラを向けますが、漁師は逃げも隠れもせず堂々とした立ち振る舞いを続けます。10代の若手から漁師歴数十年のベテランまで、さまざまな漁師の姿を撮影しました。漁師は魚を、カメラマンは人を「トル」仕事です。漁師から感じた仕事への強い誇りを、しっかりとカレンダーという形で還元したいと考え、浅田さんも全力でトリ続けたといいます。

 

【苦手だったトークイベントを通して新たな発見をした浅田さん】

近年の浅田さんはトークイベントも積極的に開催しています。地方各地にも足を運んで、90分ほどトークをすることが多いそうです。はじめて人前に出てトークイベントを開いたのは2005年ごろだったそうですが、そのときは緊張であがってしまったそうで、早口でボソボソ喋る癖が出てしまい、お客さんも戸惑ったのではと浅田さんは振り返ります。

 

その失敗があってから、浅田さんは人前で何かを喋る機会があるたびに、「自分は写真家なんだから、写真だけで表現すればよいのではないか」と憂鬱な気持ちになったそうです。人前でトークをするということは、思った以上に脳が疲れるにも関わらず頭がさえて中々眠りに付けないといいます。

 

そんな葛藤を抱えつつも、100回ほどトークイベントに参加していったなかで、浅田さんは人前で喋るということに対して、以前とは異なる向き合い方をするようになります。

 

近代評論家の小林英雄さんは、「何か思惑があって他者と話をしても、それは対話にはならない。一つの目標に向かってお互いが腹をわって話を深めてゆくのが対話だ」と話していますが、浅田さんもお客さんと腹を割って気持ちや経験などを話すことで、その熱意が相手に伝わり、そこでお客さんと感情のキャッチボールが出来る…という爽快感を抱くようになったといいます。自分はまだまだトークの達人ではないと謙遜する浅田さんですが、人前で喋る楽しみが徐々に分かってきたそうです。

 

【さいごに】

日本写真映像専門学校と宗澤政宏氏は、これからも浅田さんのように多岐にわたって活躍する写真家を世に送り続けることでしょう。