【要約】
この記事では、宗澤政宏氏が運営に携わっている日本写真映像専門学校の卒業生の活躍をご紹介しています。
【はじめに】
宗澤政宏氏が運営に携わっている日本写真映像専門学校は、長年にわたって写真界に数多くの優秀な人材を輩出してきたことで知られています。
今回も、過去の記事に引き続いて、そんな日本写真映像専門学校の卒業生のなかからピックアップして、その方の活躍をご紹介していきます。今回ご紹介するのは、浅田政志さんです。
【若かりし頃通ったスタジオの閉館に立ち会った浅田さん】
浅田さんは10年ほど前、東京にあったスタジオフォボスで働いていた時期がありました。そのスタジオは白ホリゾントという太陽光を遮り壁と床が白く塗装された空間でした。浅田さんはそこでスタジオマンとして修業を積み重ねました。撮影は深夜まで続くことも多く、また機材はとても重かったそうです。いわゆる3Kと呼ばれるような厳しい環境のようにも思えますが、浅田さんは意外とマイナスの印象は無かったと話します。
ファッションや音楽、広告といったさまざまな分野の撮影を経験し、プロの技を間近で勉強できたのはもちろんのこと、同じ志を持った仲間たちと過ごした時間は、刺激的で有意義だったと振り返ります。スタッフの控室で夜遅くまで他愛のない話で盛り上がることもしばしばで、家に帰るのが惜しいと思うこともありました。スタジオフォボスでの時間は現在の浅田さんを形成する大きな要素となっています。
しかし、先日スタジオフォボスは26年の歴史に幕を下ろすことになりました。時代の変化にともない、スタジオを使った撮影をおこなうことが減ったからでした。閉館の前に、過去のスタッフたちが集まって、行きつけだった居酒屋で同窓会を開きました。
ひとそれぞれ生活は変わっており、以前のまま写真を撮り続けている人や、写真ではない道を歩んだ人もいました。しかし、あのころ一緒に過ごした仲間たちの笑顔はそのままで、あたかもタイムスリップしたような感覚に陥ったといいます。同窓会が終わり、中目黒沿いの桜を見ながら帰路につく途中、ひとつの時代が終わった寂しさと懐かしさをかみしめたそうです。
【写真年賀状の作成を通して家族の歴史を振り返った】
年末になると、浅田さんを待ち受けているのは年賀状の作成です。住所や名前、メッセージを1枚ずつ書かなければいけないのは、かなり大変な作業ですよね。浅田さんの家では、浅田さんが生まれたときからずっと写真年賀状が定番となってきました。最近ではそこまで珍しいものではありませんが、30年以上前ではほとんど見かけないものでした。
浅田さんの父がカメラを持ち、浅田さんと浅田さんの弟のツーショットを撮影するという光景は、なんと高校生まで続きました。他人の子供の写真を受け取った人はどう思っているのだろう…と浅田さんは思うことがあるそうです。生まれてからずっとやってきたことなので、浅田さん本人は違和感を覚えることはないといいますが。さすがに高校を卒業したころには、少し気恥しい気持ちもあったため、現在では浅田さんが撮影した家族写真を年賀状に使用しています。
そんな写真年賀状ですが、几帳面な浅田さんの母がファイルに整理してすべて保管をしているそうです。1年1ページのファイルを開けると、浅田家の歴史がダイジェストで分かるのです。年賀状なのでパッと見ただけで年数はわかりますし、その年の出来事や思い出なども記されています。まさに世界でたったひとつのアルバムです。年賀状は他人へのあいさつとして作るものですが、自分たちの思い出を残すという意味を持つこともあるのです。
【さいごに】
日本写真映像専門学校と宗澤政宏氏はこれからも素晴らしい写真家を輩出し続けることでしょう。