宗澤政宏がお届けする、社会貢献に関する紹介

日本写真映像専門学校を卒業した人々60

【要約】

この記事では、宗澤政宏氏が運営に携わっている日本写真映像専門学校の卒業生の活躍をご紹介しています。

 

【はじめに】

宗澤政宏氏が運営に携わっている日本写真映像専門学校は、長年にわたって写真界に数多くの優秀な人材を輩出してきたことで知られています。

今回も、過去の記事に引き続いて、そんな日本写真映像専門学校の卒業生のなかからピックアップして、その方の活躍をご紹介していきます。今回ご紹介するのは、山本雅紀さんです。

 

【日本写真映像専門学校の卒業生・山本雅紀さん】

山本雅紀さんは1989年兵庫県生まれで、日本写真映像専門学校の卒業生です。自身の家族をテーマにした写真を撮り、作品「山本家」では賞を獲得したこともあります。現在は、新聞社で撮影をしたり、日本写真映像専門学校で講師を務めたりという活動をしています。

 

【18歳のときにある本を見て、写真の世界を目指した】

山本さんが写真に興味を持ったのは18歳のとき、たまたま本屋で「戦場に立つカメラマンの群像」という本を見かけたことでした。写真で写された現実の世界に驚いた山本さんは、ちょうどその時今後の自分の人生を模索していた時期だったということもあり、写真を勉強したいと考えて日本写真映像専門学校に入学しました。

 

【好きな写真をスクラップするなかで、自分の撮りたい写真が見えてきた】

マグナム・フォトの写真に影響を受けたほか、ナン・ゴールディン、セバスチャン・サルガドなど著名な写真家が好きだと話す山本さん。またネットで気になる写真を見て印象に残るとその画像を保存してスクラップをしているそうです。そうやって集まったスクラップから写真を取り出してみると、次第に自分の好きなタイプの写真が分かってきて、自分がどんな写真を撮りたいと思っているのかに気づかされるといいます。すると、ほかに好きな写真家も出てきて、その写真家がほかにどんな活動をしているのかを知るようになっていくそうです。山本さんはほかのひとと写真が似ているとか違うといったことはどうでもよく、自分がどういう写真を撮りたいのかという考えをまとめることができるという意味で、写真のスクラップは意味があったと振り返ります。

 

【カラーではなくモノクロの写真が多い山本さんの作品】

山本さんが撮りたいと思ったものを写真として表現する際には、カラーではなくモノクロの作品になることが多いといいます。普段はカラーのなかで生活している訳ですが、山本さんが良いと思ったり、何かを伝えたいと思ったりしたときには、モノクロを選択する方がよりゴールにたどり着ける感覚があるそうです。その一方で、山本さんがニュージーランドに滞在して写真を撮っていた時はカラーの写真も多く、自分の伝えたいものが伝わりやすい形を選択しているようです。

 

【壮絶な過去を持つ山本さんの一家と、そんな家族の写真を撮る山本さん】

山本さんが小学3年生のとき、一家は強制退去で家から追い出されてしまいます。1か月ほど車内で生活する時期を経験し、子供たちは施設へ預けられ、家族がバラバラになってしまうことがありました。

 

しばらくして再び家族が集まって暮らすようになるのですが、貧しい生活が続いていきました。家族ひとりひとりを見ても、いじめや引きこもりといった過去を持ち、それぞれが山本家の過去を背負って現在まで生きてきたという歴史があります。

 

そんな山本家を写真で撮影する山本さんですが、一番家族を感じる瞬間は家族で食卓を囲んでいるときだと話します。7人家族ということで食卓に狭さを感じることもありましたが、会話の絶えない空間だそうです。

 

そんな大切な家族にカメラを向けてみて気づいたのは、家族という被写体は、山本さんにとって自分の個性を精一杯満たしてくれるものだったということです。将来的に自分の人生を振り返ったときに、「答えはここにあったのか」と思うような気がすると話します。

 

【さいごに】

日本写真映像専門学校と宗澤政宏氏は、山本さんのような個性的な写真家をこれからも育成していくことでしょう。