宗澤政宏がお届けする、社会貢献に関する紹介

日本写真映像専門学校を卒業した人々73

【要約】

この記事では、宗澤政宏氏が運営に携わっている日本写真映像専門学校の卒業生の活躍をご紹介しています。

 

【はじめに】

宗澤政宏氏が運営に携わっている日本写真映像専門学校は、長年にわたって写真界に数多くの優秀な人材を輩出してきたことで知られています。

今回も、過去の記事に引き続いて、そんな日本写真映像専門学校の卒業生のなかからピックアップして、その方の活躍をご紹介していきます。今回ご紹介するのは、浅田政志さんです。

 

【浅田さんにとって故郷である三重県の美術館で個展を開いた】

はじめての写真集を出版し3年ほどが経過したあるとき、三重県立美術館で展示をやらせてもらうことになりました。三重県立美術館はこれまで若手の写真家の個展をやったことはなかったのですが、浅田さんが三重県生まれということでやりましょうというお声がかかりました。このとき、浅田さんは29歳でしたが、故郷に錦を飾るといった感覚で、浅田さんにとってはいちばんよい環境で個展を開くことができることへの喜びと、いつか県立美術館で自分の写真を飾りたいという夢がかなったということで、これまで以上に気合を入れて作業に取り組みました。

 

【個展開催と同時に、新たな家族写真集の制作が決まった】

そんななか、「展示の図録を作るのであれば、ぜひ新しい写真集を」と浅田さんがお願いして完成したのが「NEW LIFE」でした。4人から6人への増えた家族写真を、いつか浅田家のように本にまとめてみたいと思っていた浅田さんですが、まさかすぐにまとめることになるとは思わなかったといいます。しかし、県立美術館での展示が決まった流れで、ついに実現することになりました。本を作ると決めたものの、どういう形にしようかと思案した浅田さんですが、お兄さんが結婚してお嫁さんが入って5人、そこに赤ちゃんが生まれて6人と言った変遷をたどっている家族がどんどんと拡大をしていく様子がとても幸せだと感じ、そういう時期を家族アルバムに残したいと考えるようになりました。

 

【浅田さんの興味範囲が、家族写真から家族アルバムへと広がった】

浅田家としての家族アルバムへの想いもありましたが、シンプルに家族アルバムをもっとやってみたいという思いもありました。ちょうどその時期は浅田さんのなかで家族写真から家族アルバムに興味が変化していた時期でした。家族アルバムはいろいろな作り方があります。たとえばお父さんが写真を撮って、お母さんが整理する…といった具合です。それをもっと、家族のメンバーがそれぞれ得意な分野をいかしながらアルバムを作るのはどうだろうかと思いました。

 

【家族それぞれの得意分野をいかしたアルバム作りを開始】

浅田さんはもちろん写真を撮ります。お母さんは習っている押し花が少し得意ということで、甥の写真に押し花をコラージュしてもらいました。お兄さんは絵が上手なので、写真のうえにオリジナルのキャラクターを描いてもらいました。お父さんも絵が上手いので、コウノトリが赤ちゃんを運んでくるという絵を描いてもらってそれをしおりにしました。こうして浅田家の写真アルバムが完成しました。

 

【お兄さんの赤ちゃんをとくにしっかり撮りたいと思った】

浅田さんのなかでは、とにかくお兄さんにとってはじめての赤ちゃんを写真としてしっかり残してあげたいという気持ちが沸き上がりました。たとえそれが作品にはならなくても、せっかく弟である浅田さんが写真家をやっているわけですから、赤ちゃんのアルバムは自分が撮りたい、と考えたといいます。そのため、実家に帰るたびに、お兄さんの家にも出向き、浅田さんなりに赤ちゃんの写真を撮影していきました。

 

【さいごに】

日本写真映像専門学校と宗澤政宏氏は、これからもすばらしい写真家を育てていくことでしょう。