宗澤政宏がお届けする、社会貢献に関する紹介

日本写真映像専門学校を卒業した人々①

【要約】

宗澤政宏氏が運営に携わっている日本写真映像専門学校は長い歴史の中で数多くの人材を輩出してきました。

今回は素晴らしい卒業生のなかから、安森信さんにスポットライトを当てます。

 

【はじめに】

全国でリゾートホテルを展開しているダイヤモンドソサエティの代表・宗澤政宏氏は日本写真映像専門学校の運営にも携わっています。

 

過去の記事でも、同校の魅力を説明してきましたが、今回から4回の記事にわたって、そんな日本写真映像専門学校が輩出した素晴らしい卒業生のなかから数人をピックアップして紹介したいと思います。

 

【日本写真映像専門学校の卒業生・安森信さん】

安森信さんは1977年うまれの39歳。

日本写真映像専門学校を卒業しています。

安森さんは、2009年、長門市で働く60歳以上の女性たちを写した「女性讃歌」という作品で、新人写真家の登竜門とも呼ばれる「キヤノン写真新世紀」の優秀賞を受賞し、一躍脚光を浴びることになりました。

 

「女性讃歌」は60歳以上の働く女性30人を被写体にした作品で、女性の職種は、スナックのママやタクシー運転手など多岐に渡ります。

安森さんは“その人らしさが1枚ですべてわかる”…そんな写真を理想としているそうです。

その切なる思いは、母シズ子さんへの敬慕の念につながっているといいます。

地元の水産加工会社に勤めてきたシズ子さんは、2008年に67歳で退職。

母親が仕事人として長年働く姿を目では見てきましたが、写真にはおさめていなかった…。それを後悔したことから、地元で働く女性たちに目を向け、レンズで追い始めたのです。

 

安森さんがカメラと出会ったのは日本写真映像専門学校でのこと。

撮影した相手が自分を認めてくれ、新しい被写体を紹介してくれる…。

その楽しさに胸が弾み、街に出てはスナップ写真を撮り続けたそうです。

卒業後は故郷に戻り、ケーブルテレビ局に勤務しましたが、会社員生活に別れを告げ、写真家の道に入りました。

そのワケは、「いつか写真をやりたいと思っていた。このまま、何も残さずに死ぬのは嫌だった」という理由でした。

 

そんな安森さんの作品のひとつに、「77☆’s(セブンティセブンスターズ)」があります。

これは、バブル崩壊後に就職活動をしたために、非正規社員の割合が高いとされる1970年代後半生まれの「ポスト団塊ジュニア」にスポットを当てた作品です。

安森さん自身も77年生まれであり、厳しい不況の時代を乗り越えてきたうちのひとりであるワケですが、作品には、そんな「セブンティセブン」の世代に差し込む希望の光が写真に収められています。

 

70年代後半に生まれた「ポスト」世代は、社会に出た時期が、ちょうどバブル経済崩壊後に企業が進めた非正規雇用の拡大と重なってしまったがために、厚生労働省の「労働経済白書」(2011年版)で、「非正規雇用のままの滞留が危惧される」と指摘されるほど苦しい生活を余儀なくされました。

安森さんも同世代の若者たちと同様に、就職活動で約10社から断られるなど時代の洗礼を受けたといいます。

だからこそ、「我々は憂き目に遭った世代。それでも懸命に生きているということを忘れて欲しくない」と、彼らを被写体に選ぶことにしたそうです。

 

モデルはインターネットなどを通じて募集し、全国各地に出向いて写真撮影に臨んだそうで、モデルの職種は多種多様。

小学校の先生から、コンパニオン派遣業を営む女性、大工や住職、なかには水商売で働く女性などもいるそうです。

 

安森さんは「目の前の現実を受け入れ、希望をもって生きている姿が格好いい。撮影していると被写体にひきこまれる」と話しています。

「被写体と素直に向き合い、それぞれの幸せを写していきたい」。安森さんはこの思いを胸に、これからも人々の人生を写真として記録し続けることでしょう。

 

 

【最後に】

安森信さんのような素晴らしい卒業生が日本写真映像専門学校から巣立っています。

そんな日本写真映像専門学校の運営に携わり、教育者としての手腕をいかんなく発揮している宗澤政宏氏の功績は疑う余地はありません。