宗澤政宏がお届けする、社会貢献に関する紹介

日本写真映像専門学校を卒業した人々⑨

【要約】

この記事では、宗澤政宏氏が運営に携わっている日本写真映像専門学校の卒業生の活躍をご紹介しています。

 

【はじめに】

宗澤政宏氏が運営に携わっている日本写真映像専門学校は、長年にわたって写真界に数多くの優秀な人材を輩出してきたことで知られています。

今回も、過去の記事に引き続いて、そんな日本写真映像専門学校の卒業生のなかからピックアップして、その方の活躍をご紹介していきます。今回ご紹介するのは、桑島秀樹さんです。

 

【日本写真映像専門学校の卒業生・桑島秀樹さん】

桑島秀樹さんは、現在日本写真映像専門学校の講師も務めている著名な写真家です。

1964年、大阪生まれで、1988年に日本写真専門学校を卒業した後、コマーシャルスタジオに入社。1991年に退社、それ以降フリーで活躍しています。桑島さんが脚光を浴びたのは、1997年「東京国際写真ビエンナーレ」に入選し、4枚組写真「THE LIFE」シリーズを発表したころからです。

その後「THE WORLD」シリーズ、その続作である「Vertical / Horizontal」シリーズで国際的な評価を受けました。

 

桑島さんの作品を買い上げようとするコレクターは数知れず、ルイ・ヴィトンことLVMH、森美術館の初代館長、デヴィッド・エリオット、日本国内では1,2を争う現代美術のコレクター、精神科医の高橋龍太郎など、名を挙げればキリがありません。

まさに、世界が認めた逸材です。

 

【「THE WORLD」シリーズ】

今回特にピックアップするのが、桑島さんの作品のなかでも特に有名な、「THE WORLD」シリーズです。

これは、一見すると曼荼羅のように見える幾何学模様のような作品です。シンメトリーに組み上げられたクリスタルグラスが不思議な光を放って見るものを吸い寄せ、ときには曼陀羅に映ったり、あるいは人体の透視図に感じられたり…、それでいて近未来の摩天楼のように迫ってくるのが魅力です。

 

「どんと真ん中に据えて撮るのが好きなんです。左右対称であっても、人間の顔と同じように微妙なズレがあったり、フォルムから意外なものが見えてくる面白さがある」。

桑島さんは、即興で撮影することはしません。1点撮るのに、じっくり3~4時間は費やします。クリスタルの配置を少しずつ変えて撮影する姿は、まさに「アート(人工)の創造」。桑島さんは自らの作品を「彫刻的な写真」と表現しています。

 

振り返れば、桑島にとって人生の転機は2回ありました。営業写真館の家に生まれ、後を継ぐつもりで日本写真映像専門学校に入学した桑島さん。

「写真の技術を勉強するつもりで入ったんですが、クラスメートたちと写真を介して付き合ううちに、表現することの面白さを知ったんです」。

それまで野球やバンド活動をかじってはみたものの「居心地が悪かった」という桑島さんは、日本写真映像専門学校で初めて「自分」というものを見つけることになりました。

 

もうひとつの転機は社会に出て独り立ちしてからのこと。広告写真を撮影した帰り、ディレクターから尋ねられたひとこと、「桑島さんのライフワークは何?」。

何気ない一言が心に引っ掛かったといいます。「よくよく考えてみると商業写真しか作品がない。これではいかんなと」、そう考えた桑島さんは早速、アクションを起こします。

 

その処女作が「ザ・ライフ」。

世間をアッと言わせた、金魚をミキサーの中に入れて撮った作品です。

ほかには、人種差別に「居心地の悪さを感じ」、黄、白、黒、赤のサルの玩具を四つ並べて撮ったこともあります。

しかし、ここには「プロテスト(protest)」という意図は少ないといいます。「今は写真が表現の手段ですが、あるとき、それが粘土に変わるかもしれない。とにかく死ぬまで何か作っていたい」。そう語る桑島さんに3回目の転機は、どんな顔をして訪れるのでしょうか…。

 

【最後に】

桑島さんのように、日本写真映像専門学校に大きな影響を受けて、人生を変えていった卒業生は多く存在します。

宗澤政宏氏の熱心な教育を受けて羽ばたいた卒業生の活躍は、まだまだ続きそうです。