宗澤政宏がお届けする、社会貢献に関する紹介

日本写真映像専門学校を卒業した人々⑩

【要約】

この記事では、宗澤政宏氏が運営に携わっている日本写真映像専門学校の卒業生の活躍をご紹介しています。

 

【はじめに】

宗澤政宏氏が運営に携わっている日本写真映像専門学校は、長年にわたって写真界に数多くの優秀な人材を輩出してきたことで知られています。

今回も、過去の記事に引き続いて、そんな日本写真映像専門学校の卒業生のなかからピックアップして、その方の活躍をご紹介していきます。

今回ご紹介するのは、マツシマススムさんです。

 

【日本写真映像専門学校の卒業生・マツシマススムさん】

1946年生まれのマツシマススムさんは、日本写真映像専門学校を卒業したあと、平凡社の太陽賞を受賞し、プロカメラマンになりました。

 

75年カメラ毎日年度賞1位、76年フォトアート年度賞1位、81年「湖北冬日記」で日本写真家協会金賞受賞など輝かしい経歴を持っており、また琵琶湖の写真が「滋賀世界湖沼会議ポスター」に採用されるなど、「琵琶湖の写真家」として知られています。

 

【琵琶湖の写真家】

古くは「淡海(あわうみ)」「鳰(にお)(カイツブリの古名)の海」「湖(うみ)」と呼ばれた琵琶湖の美しさに魅せられた人は多いことでしょう。

マツシマさんと琵琶湖との出会いは、日本写真映像専門学校を卒業した1965年の冬のこと。仲間に誘われ、福井県に近い湖北へ撮影に行ったことがきっかけでした。

湖面に突き刺す雪。杭の上のカモメと白鷺。湖面に美しく映え、降り積もる一面の雪…、日常とは違った世界に瞬く間に魅了されました。有明湾に面した田園地帯を離れて2年。ごみごみした街、満員の電車、まずい水…。

大阪での暮らしに違和感を覚え、故郷が恋しくなっていた時に出会った琵琶湖。「いいなあ」。澱のようにたまっていたものが吹き飛んだといいます。

 

その感動は翌日からの生活に張りを与えてくれました。以来、休日ごとの琵琶湖通いが始まります。春は若葉の鮮やかな新緑が目を射る。初夏はムクドリの群れが湖北から伊吹山を背景に飛んでいく。秋はコスモスや彼岸花が湖岸を彩る…、

四季折々の姿を見せる琵琶湖にただただ感動する毎日。多い年には80回近く訪ね、シャッターを押しました。30枚の組み写真「琵琶湖私景 冬から冬」は78年の第15回太陽賞に輝きます。

 

ところが、何度も訪れるうちに、少しずつ琵琶湖の変化に気づきはじめました。

生い茂っていたヨシは少なくなり、ヨシの中からたくさん聞こえていた野鳥のさえずりも次第に聞こえなくなり、ツバメの群舞を目にすることも減っていきました。

湖周辺の小さな森は道路に変わり、池や入り江も消えました。

 

後になって琵琶湖総合開発が進行していたと知ったマツシマさん。

道路が整備され、地元の人は便利になったといいます。

しかし、やはり琵琶湖には、ヨシや舟の風景が似合うのではないか…。

 

「湖を守れと声高に叫ぶつもりはありません。写真を通して、多くの人に美しさ、素晴らしさを訴えていくのが私の役割。環境の悪化に今、歯止めをかけておかないと大変なことになります」。

それからというもの、マツシマさんは「マザーレイク」という琵琶湖保全キャッチコピーの下で、琵琶湖と人の関わりを写真に収めた個展を開催するなど、美しい琵琶湖を守る活動を続けています。

「大切にしたい。命の水を守っている母の湖を」。その思いを胸に、マツシマさんはこれからも写真を撮り続けます。

 

【最後に】

マツシマさんは、日本写真映像専門学校で培った写真の技術を、琵琶湖保全という形で社会に還元しています。

 

自分の営利目的だけではなく、社会のために何かアクションをおこす卒業生は、マツシマさんの他にも多く存在します。これも宗澤政宏氏の教育方針が生徒たちにしっかりと伝わっている証ではないでしょうか。