宗澤政宏がお届けする、社会貢献に関する紹介

日本写真映像専門学校を卒業した人々⑪

【要約】

この記事では、宗澤政宏氏が運営に携わっている日本写真映像専門学校の卒業生の活躍をご紹介しています。

 

【はじめに】

宗澤政宏氏が運営に携わっている日本写真映像専門学校は、長年にわたって写真界に数多くの優秀な人材を輩出してきたことで知られています。

今回も、過去の記事に引き続いて、そんな日本写真映像専門学校の卒業生のなかからピックアップして、その方の活躍をご紹介していきます。今回ご紹介するのは、山口勝廣さんです。

 

【日本写真映像専門学校の卒業生・山口勝廣さん】

山口勝廣は日本写真映像専門学校の卒業生です。1967年からライフワークとして、中山道という一本の街道に育まれた歴史や伝統、「木曽路」の民俗、風物の取材を開始し、木曽谷の人々の暮らしを40年にわたって撮影記録。

 

御嶽信仰、地歌舞伎、獅子狂言、太太神楽をはじめとする、江戸期から明治新政府に移る変遷の歴史と文化、今に伝わる伝承の姿を撮り続けています。

 

【木曽谷と山口さん】

山口さんが木曽谷を訪れたのは今から40年以上前のこと。

きっかけは島崎藤村の『夜明け前』に出会ったことにあるといいます。「日本人の血のドロドロとした世界が本当にあるなら見てみたいと思った」。

ですが、実際に訪れてみても、「何も見えてこなかった」といいます。

しかし、それがかえって写真家の心を惹きつけたのでしょうか、それ以来山口さんは多いときで1年の半分ほどを取材に充てて、そこに住む人々の暮らしを追い続けてきました。撮影のなかには、かなりの時間を要したものもあるそうです。

 

特に御嶽講の宗教神事は、普通は人に見せるものではないので、信徒以外はなかなか入っていけず、撮影も難しいものです。山口さんは何度も足を運び、人々との関係を築いて、やっと間近で撮影できるまでになりました。

ここまで、およそ10年の年月を費やしたといいます。「御嶽の宗教を撮らせてもらって、少し木曽が見えてきたかなと思います。

まだ、入口に立ったところです。木曽の人は初めとっつきにくいところがあるんですが、打ち解けてしまえば、それはもう都会では得がたい絆となります」

 

この40年、林業や養蚕業が衰退し風景が移り変わっていく中で、なお変わらぬ信仰や祭りを見つめてきました。「木曽に住む若い人がだんだんと少なくなってきて、お祭りも伝承していくことの大変さを感じています。

だからこそ、ぜひ残してほしいという思いで撮影してきました」写真の中には、連綿と受け継がれてきた日本人の心、文化が映し出されています。

 

【御嶽山と山口さん】

戦後最大の火山災害となった御嶽山は、信仰の歴史が深い半面、子連れでも登れる山として長年、親しまれてきました。

 

あの災害を経て、山と生きてきた山岳ガイドや写真家の中には「畏怖の念を忘れない」と、御嶽山への思いを新たにする人もいます。

山口さんもそんな写真家のひとりです。山峡の木曽路に色濃く残る御嶽山の山岳信仰や獅子狂言をフレームに収めてきた山口さん。

 

木曽を訪れる生活は約45年続いていました。噴火は、友人から連絡を受けて知ったといいます。

「自分の目で見たい」と、翌朝にはふもとに駆け付け、高原や峠から噴煙の上がる御嶽山を確認、夢中でシャッターを切りました。「山そのものが生きている。登るためだけの山ではない」。そう感じた山口さんは、これからも御嶽山への謙虚な気持ちを大事にしながら、撮影を続けるつもりだそうです。

 

【最後に】

山口さんのように自然を相手にして写真を撮影するのは、簡単なことではありません。自然への畏怖の念と、確かな写真技術が必要不可欠です。

宗澤政宏氏が運営する日本写真映像専門学校は、生徒たちにどんな状況でもシャッターを切れる、そんな確かな授業を展開しています。これからも、日本写真映像専門学校と宗澤政宏氏は、写真界に優秀な人材を輩出し続けます。