宗澤政宏がお届けする、社会貢献に関する紹介

日本写真映像専門学校を卒業した人々㉑

【要約】

この記事では、宗澤政宏氏が運営に携わっている日本写真映像専門学校の卒業生の活躍をご紹介しています。

 

【はじめに】

宗澤政宏氏が運営に携わっている日本写真映像専門学校は、長年にわたって写真界に数多くの優秀な人材を輩出してきたことで知られています。

 

今回も、過去の記事に引き続いて、そんな日本写真映像専門学校の卒業生のなかからピックアップして、その方の活躍をご紹介していきます。今回ご紹介するのは、長島義明さんです。

 

 

【写真を通して、学生にアフガニスタンの姿を伝える】

「こんな風景、もう空爆で残っとらんのちゃうか」。大阪府門真市の居酒屋。

写真家である長島義明さんが、発売間近の写真集「アフガンからの風」の見本を開くと、そんな声が漏れました。街に群れる白いハト、農場を縫う古代の水路、人々の笑顔……。長島さんを囲む7人はページを繰るたびに「きれいやなー」と声をあげたものの、掲載写真はすべて、30年以上前のアフガニスタンの光景でした。長島さんはつぶやくように言います。「いや、空爆後も田舎はそんなに変わってないと思う。それを確認するためにも行きたい…。」

 

9・11テロを受け、米国がアフガン空爆を始めたのは2001年10月のこと。長島さんはテレビを見て、「えっ」と思ったそうです。廃虚と化した街、銃を持つひげ面の男、飢える子ども……。「違う。こんな国じゃない」。当時のフィルムを探し、東京で写真展「平和だった頃のアフガニスタン」を開きました。市民団体の依頼が相次ぎ、広島や京都、大阪など各地で開催しました。「ちょっとすんません」。鑑賞客の1人が声をかけてきました。

 

大阪市在住で、当時は府立門真西高校で日本史を教えていた佐藤功さんでした。

9・11テロ以降、戦争やテロの意味を生徒にどう伝えるか悩んでいたといいます。

長島さんは「写真展に来るのはおばちゃんばっかりや。若い人は戦争をどう思ってるんやろか」と言うと、佐藤さんは「若者も考えているんです。学校で生徒らに話をしてくれませんか」と頼んでみました。「ええよ。言いたいことはいっぱいある」。

 

 

その翌年、長島さんは高校3年生約240人にスライドで写真を見せ、「アフガニスタンは戦争の国、怖い、暗いというイメージは一つの側面でしかない」と訴えました。生徒も、佐藤さんも真剣に聴き入りました。2人はその後、長島さんの個展や、佐藤さんが参加する市民団体の活動で時々顔を合わせる仲になりました。

 

あるとき、佐藤さんが大阪であった長島さんの個展を訪ねたときのことでした。「実はこれが心残りなんや」。長島さんはそう言って1枚の写真を見せました。アフガニスタンの子ども約30人が笑顔で手を振っている…。30年以上前にアフガンの山村で写した1コマ。写真を撮ると、子どもたちが群がり、「写真を見せて」とせがまれました。現像して、またここに来るからね――そう言って別れたのでした。「その約束が果たせんままや。最近はろくに収入もなく、家も売ろうかと。もう引退や」。

 

1960年代から100カ国で撮影してきた長島さん。手元に金が残るとすぐに旅立つ生活。妻、娘2人と暮らしてきたが、近年は不況で収入が激減。自宅のローンに追われ、妻は飲食店でパートをしたといいます。「写真の子どもたちはもう大人。戦火に巻き込まれて難民になっとるんか、それとも兵士になったんか……」。アフガンの写真展では全国30カ所を手弁当で回りました。佐藤さんは「高校にも損得抜きで来てくれた。僕に何かできへんか」と考えました。数日後、百貨店の催事担当をする高校の同級生に相談。

 

同級生は長島さんの作品を見て、写真展を開くことを決めました。「もっと何かできないか」。佐藤さんは長島さん以外にも様々なゲストを学校に招いてきました。市民団体に参加し、学校行事の活性化を考える研究会も主宰しており、その人脈で知恵を集めようと、「おもろい写真家がおるから、とにかく来て」と呼びかけたそうです。

 

ジャーナリスト、保育園理事、百貨店社員、農業者ら十数人が料亭に集まりました。長島さんが、アフガンを再訪して写真の子どもたちを捜す構想を話しました。「必要資金は約200万円。でも、これは単なる自分探しの旅。寄付は受け取れません」。事情も知らずに駆けつけた人もいましたが、長島さんの真摯な話に少しずつ引き込まれていきました。「長島の個人的な夢を応援する勝手連」として、イカス会ができました。

 

翌月の集会では、支援策を出し合いました。「写真を切手にして売れへんか」「百貨店でイベントを」…。長島さんは、イカス会の仲間たちが親身になってくれるのが新鮮だったそうです。東京の出版社からアフガンの写真集を出す話も決定。情熱が再燃し、借金してでも行くつもりになっていました。「本当は人に頼りたくなかった。でも、うれしいね、仲間ができて。僕だけでなく、みんなが楽しめる会にしてもらわんと」。「いや、みんな勝手に応援して、勝手に楽しんでるから」そんな声が上がり、笑いが広がりました。

 

 

【最後に】

写真を通して戦地の本当の姿を伝えた長島さん。その基礎には日本写真映像専門学校がありました。これからも、日本写真映像専門学校と宗澤政宏氏は、長島さんのような人材を育成し続けることでしょう。