【要約】
この記事では、宗澤政宏氏が運営に携わっている日本写真映像専門学校の卒業生の活躍をご紹介しています。
【はじめに】
宗澤政宏氏が運営に携わっている日本写真映像専門学校は、長年にわたって写真界に数多くの優秀な人材を輩出してきたことで知られています。
今回も、過去の記事に引き続いて、そんな日本写真映像専門学校の卒業生のなかからピックアップして、その方の活躍をご紹介していきます。今回ご紹介するのは、長島義明さんです。
【カストロ議長を撮影した長島さん】
2016年11月、キューバのフィデル・カストロ前国家評議会議長の死去が伝えられました。長島義明さんは1993年、キューバでカストロ氏の肖像写真を撮影したことで知られています。「眼光が鋭く、革命を成し遂げた男の風格を感じた。」と当時の印象を語ります。
当時は、アメリカのジャーナリストが単独インタビューをしたことがニュースになったほど、カストロが表に出なかった時代。常に暗殺者に狙われていて、キューバ政府は警戒していました。そんな状況で撮影に臨んだ長島さん。ハバナの革命広場近くにあった政府ビル地下の応接室に案内されました。応接室は質素な作りで、観用植物の鉢がひとつと、背の低い木のテーブルと肘掛けのある椅子が4つ。
キューバ人画家の絵が一枚壁にかけられていて、天井も高くはない、照明も普通で何の飾りもなかったそうです。カストロ前議長は長島さんの服装を見て「Tシャツにサンダル姿で会いに来たのはおまえが初めてだ」と笑って出迎えてくれたといいます。
政府の建物の地下室で20分間ほど撮影した後、記念写真を撮ってもらおうと、カストロ氏の腰に手を回したところ、側近に親指をねじ上げられました。その時、軍服の下に防弾チョッキを着ていることに気付いたといいます。
長島さんは「未発表の写真もまだある。改めて撮影し、写真展を開きたかった。最後の革命家だった。国家評議会議長を退いてスポーツウエア姿になっても、亡くなるまで威厳と誇りを失わなかった。後の指導者たちに影響を与え続けるだろう」とその死を惜しみました。
【学生らとホームレスをテーマにした写真展を開催】
大阪市の靱公園などからホームレスのテントが強制撤去されたのを受け、長島義明さんが写真家を目指す女子高生らと共同で、ホームレスをテーマにした写真展をギャラリーで開催したことがあります。
あいりん地区(西成区)で炊き出しに並ぶ行列、ビルの谷間で山のように積まれた段ボールを載せたリヤカーを引いて歩く初老の男性、路上でもの悲しげにハーモニカを吹く人――。ギャラリーには長島さんが2002年から同地区を中心に市内の公園や淀川河川敷で野宿する人たちの暮らしぶりを撮影したモノクロ写真約90点を含む200点が展示されました。女子高生らは大阪市立工芸高の撮影研究部員とその卒業生。2004年に「大阪のおっちゃん」をテーマにホームレスの表情などを撮影していました。
知人を通じて彼女らの作品を知った長島さんが、3年生の北田あゆみさんや、谷川奈緒さんらに参加を呼びかけ、北田さんらが作品を持ち寄りました。北田さんらは、街角で見かけた個性的で表情の豊かなホームレスの人たちに声を掛け、会話しながらカメラを向けました。仲良くなったホームレスのテントに入ってお茶やお菓子をごちそうになったり、人生を語り合ったりと、貴重な体験ができたといいます。
北田さんは「怖いという印象はあったが、気さくな人も多い。つらい生活の中でも決して笑顔を忘れない姿が印象的だった。しわくちゃになった笑顔がとてもかわいかった」と振り返りました。
また、参加者の一人で短大1年の竹田真理子さんも「大阪のおばちゃんは強いと言われるが、おっちゃんもすごい。写真に写った表情から、そのすごさを感じてほしい」と話します。長島さんは「公園にテントが並ぶ光景を良いとは思わないが、無視してはいけない現実だ。強制撤去が問題になった今こそ、彼らの暮らしのひとコマを見てほしい」と語りました。
【最後に】
国家のトップのような人物からホームレスまで、幅広い被写体を撮影してきた長島さん。宗澤政宏氏と日本写真映像専門学校は、これからも長島さんのように、多岐に渡って活躍する写真家を育て続けます。