宗澤政宏がお届けする、社会貢献に関する紹介

日本写真映像専門学校を卒業した人々㉖

【要約】

この記事では、宗澤政宏氏が運営に携わっている日本写真映像専門学校の卒業生の活躍をご紹介しています。

 

【はじめに】

宗澤政宏氏が運営に携わっている日本写真映像専門学校は、長年にわたって写真界に数多くの優秀な人材を輩出してきたことで知られています。

今回も、過去の記事に引き続いて、そんな日本写真映像専門学校の卒業生のなかからピックアップして、その方の活躍をご紹介していきます。今回ご紹介するのは、渋谷利雄さんです。

 

【能登の風景をシャッターに収め続ける】

「能登は優しや土までも」という言葉があります。能登人の情の厚さを表現したものです。能登には21世紀を迎えた今でも地域独特の風習や祭事が守り続けられ、単なる観光旅行では味わうことのできない人間同士のつながりが生きている不思議な空間が広がっています。日本写真映像専門学校の卒業生である渋谷利雄さんはそんな能登に魅せられて20年以上もキリコ祭りなどを撮り続けています。

年間300もの祭りや風習を撮影する渋谷さんは「私にとって、撮影で得た人々とのつながりは、フィルムよりも大事な財産です」と言い切ります。

 

もともと渋谷さんは報道カメラマンを志望して写真専門学校に入ったのですが、テレビ局でアルバイトをしていた時に飛行機の墜落事故現場の取材に同行して、「こういった仕事はちょっと……」と石川県に戻ったそうです。羽咋で写真店を開業したものの、「何かしないと」と思って身近にある能登の祭りを専門に撮影することにしたのです。

 

渋谷さんといえば「キリコ」の写真が有名ですが、当時、キリコは今ほど知られていませんでした。蛸島(珠洲市)のキリコを初めて見てすっかり感動し、魅せられました。田舎の小さな神社の境内に、輪島塗や金箔で飾った4・6メートルもの豪華なキリコが17台も集まり、渋谷さんは民家の2階に上げていただいて撮影したのですが、その光景の美しさには言葉がありませんでした。

 

年間300カ所は撮影で回っている渋谷さん。キリコのピークになる9月には、口能登から奥能登まで1晩に10カ所回ることもあるそうです。一つ一つの祭りに思い出があり、地域の皆さんの心のつながりがあります。渋谷さんは毎年通ううちに地域の人々といっしょに御膳をいただいたり、たまに都合が悪くて行かないと「どうして来なかったんだい」と電話をもらったりするそうで、「能登は優しや」という言葉の意味がよく分かるといいます。

 

柳田村で開いた写真展では能登キリシマツツジをテーマにした作品を多く展示。本来はツツジだけでなく能登でこだわって伝統を守っている「伝説人」を紹介していたのですが、能登キリシマの色が鮮やか過ぎたせいか、すっかり主役になってしまったそう。金沢以外でも七尾などで写真展を開いたことはあるそうですが、奥能登は輪島以外では初めて。特に柳田村は能登キリシマの「本場」ということで楽しみにしていました。

「私はそれほど花には興味はないのですが、能登キリシマに惚れてしまったのです。村内を中心に100カ所以上で撮影しましたし、韓国でも能登キリシマに似た色のツツジを撮影して柳田村盆友会の宮本康一会長さんらにお見せしました。それが縁で日韓交流が続いていると聞いて私としてもうれしい限りです。」

 

これからの展望としては。撮影を続けるのはもちろんですが、例えば仮面を被る祭り、曳き山祭り、獅子舞といった具合に、渋谷さんなりに能登の祭りを分類していきたいと考えているそうです。「今まで撮ってきた祭りには、一つ一つ人々との交流があり、全部が私の財産です。これからもその輪を広げていきたい。それが何よりの願いです。」

 

【最後に】

能登に密着して撮影を続けてきた渋谷さん。日本の隠れた魅力を写真を通して発信することのできるような素晴らしい写真家を日本写真映像専門学校と宗澤政宏氏は育成し続けることでしょう。