【要約】
この記事では、宗澤政宏氏が運営に携わっている日本写真映像専門学校の卒業生の活躍をご紹介しています。
【はじめに】
宗澤政宏氏が運営に携わっている日本写真映像専門学校は、長年にわたって写真界に数多くの優秀な人材を輩出してきたことで知られています。
今回も、過去の記事に引き続いて、そんな日本写真映像専門学校の卒業生のなかからピックアップして、その方の活躍をご紹介していきます。今回ご紹介するのは、木田薫さんです。
【全国の滝を写真に収めた 木田薫さん】
大阪府の写真家木田薫さんは、日本全国にある3930の滝を12年あまりかけて撮影しました。ごうごうと流れ落ちたり凍ったり、季節によって変化する水の表情にひかれ、観光名所の滝から、地元の人に聞き込んだ山奥の滝まで訪ね歩いた写真の数々が写真集にもまとめられ、出版されています。
「日本にいくつ滝があるか、厳密な数字はない」とのことですが、約10年前の旧環境庁集計では2488。地図や観光用パンフレット、道路脇の看板、あるいは各地の自治体職員や古老に聞きながら撮影を続けました。
木田さんは23歳で写真家になり、企業の宣伝広告用の撮影を中心に手がけてきましたが、50歳で「プロとして、自分の名前入りで残せる写真を撮りたい」と思い立ちます。仕事では、室内で動かない商品を撮ることが多いため、大自然を撮りたいと思い、専門で撮っている人の少ない滝をテーマに決めました。
撮影を繰り返すうちに、さらに千変万化の滝の姿に引き込まれていった木田さん。休みを利用して金曜夕にマイカーで出発し、月曜朝に帰る生活を送りました。走行距離は40万キロ以上にのぼり、「ライフワークと決意したから、出来た。高速代が高く、大抵車の中で寝た」といいます。
山深い滝では、重さ約15キロの機材を担いで、道なき道を歩くことも度々。滝つぼ近くの岩場に三脚を立てファインダーをのぞいてシャッターを切りますが、欲が出て一歩前へ踏み出したら三脚が滑り、滝つぼへ落下するカメラを追って、思わず飛び込んだこともあるとか。転倒によるカメラ破損、滝つぼへの転落、撮影直前の天候急変……。何度も歯ぎしりをしましたが、その分、感動も大きいと言います。「雄大さでの双へきは、大雪山系の北海道東川町の羽衣滝と、富山県立山町の称名滝。神々しさに圧倒され、疲れが吹っ飛んだ」。
地図に記されていない滝も訪れました。天川村で、沢登りをしている人に教えてもらった六字の滝。山のふもとに車を止め、重さ15キロの機材入りのかばんを担ぎ、川沿いに約3時間。落差70メートルを目の前にして、夢中でシャッターを切りました。
所在地や落差、見た感想を記したノートは11冊。1991年6月11日の愛媛県宇和島市の雪輪の滝に始まり、2002年12月1日に訪れた静岡県清水市の重郎の滝には3930と番号がふってあります。
仲良くなった登山者や地元の人から「こんな滝を見つけました」と手紙をもらうこともあったといいます。「まだ隠れた滝はあるはず。情報をお持ちの方は教えて下さい」と意欲的。「時を経た木々に囲まれ、何千年もむかしから水に削られた岩を滝は落ちます。
むかしの人は滝に神を見たといいましたが、私もそう感じます」と木田さん。
これからも、人々は滝から神秘的な力を感じるのでしょうか。
【最後に】
木田さんが撮影した滝の写真は、まさに見る者を魅了する圧巻の作品ばかりです。この写真撮影の裏には、日本写真映像専門学校の授業で培った技術があることを忘れてはいけません。これからも日本写真映像専門学校と宗澤政宏氏は、生徒たちが確かな技術を身に付けられるよう尽力していくことでしょう。