【要約】
この記事では、宗澤政宏氏が運営に携わっている日本写真映像専門学校の卒業生の活躍をご紹介しています。
【はじめに】
宗澤政宏氏が運営に携わっている日本写真映像専門学校は、長年にわたって写真界に数多くの優秀な人材を輩出してきたことで知られています。
今回も、過去の記事に引き続いて、そんな日本写真映像専門学校の卒業生のなかからピックアップして、その方の活躍をご紹介していきます。今回ご紹介するのは、浅田政志さんです。
【木村伊兵衛写真賞を受賞して人気を得た 浅田政志さん】
浅田政志さんは1979年の三重県生まれ。日本写真映像専門学校の卒業生です。在学中に有名な「浅田家」のシリーズを撮影し始めました。2008年に発表した写真集「浅田家」は多くの人から支持を受け、浅田さんは第34回木村伊兵衛写真賞を受賞しました。
木村伊兵衛写真賞を受賞したとはいえ、浅田さんの実感としては大きく変わったという訳ではありませんでした。取材依頼が増えるといったことはありましたが、浅田さん自身が表現することは同じでした。
しかしながら、この賞を受賞したことで、浅田さんがやって来たことがどんどん広まっていくきっかけになりました。いままでは、7年ほど写真を撮影していた中で、浅田さんを知っていたのは大阪で写真に興味がある人くらいでしたが、写真集「浅田家」の発売によって、知らない土地に写真集が置かれるようになったため、「パラッとめくってすごくよかったから」といったメールを受け取ったり、「テレビで見て知りました」といったコメントをもらったりするようになったといいます。
浅田さんの知名度が爆発的に上昇する景気となった出来事でした。
浅田さんはまさか自分が木村伊兵衛写真賞を獲得できるとは思っていなかったといいます。木村伊兵衛写真賞を取れたのは、すべて家族の力だと感じていました。「家族の力がなかったら、自分は何もできなかったし、写真の1枚すら撮ることは出来なかった。
ぼくだけの力だけではなく、家族の3人の力があり、合わせて4人の力が写真の中心になってくるから、より人を惹き付ける力が生まれた」と語ります。
浅田政志さんが家族写真を撮り出したきっかけは、日本写真映像専門学校において「写真1枚で自分を表現しなさい」という課題を出されたことがきっかけでした。
学校でこの課題を出されて、「写真1枚でどのように自分を表現すればよいのか?」と試行錯誤するなかで、「たった1枚、自分が撮りたい写真はなんですか?」という課題であれば考えられるな、と思考を巡らせました。写真は本来、何枚でも撮影が出来るもので、どれだけでもストックできるため、逆に1枚に対する強い感覚がありませんでした。
そこで、本当に残したい1枚は何なのかと思ったときに浮かんできたのが、「家族」だったのです。
この話を持ち掛けられたとき、最初の家族の反応としては、「学校の課題なら、協力しなきゃあかんな」といった感じだったそうです。「写真の専門学校に通っていて、しかも進級が危ないということで」と浅田さんは笑って振り返ります。仕方がない、嫌な部分もあるけど、まぁやるか、といったテンションで始めた撮影でしたが、人に見てもらったときに「お父さん、面白いじゃん」と言われると、浅田さんのお父さんも「そう言われたら…!」と嬉しくなっていったそうです。数年経ったいまではすっかり協力的で、意外とノリも良いそうです。
【さいごに】
日本写真映像専門学校で出されたひとつの課題によって、写真家としての方向性が定まった浅田さん。日本写真映像専門学校と宗澤政宏氏は、これからも写真家を目指す若者の第一歩をサポートし続けます。