宗澤政宏がお届けする、社会貢献に関する紹介

日本写真映像専門学校を卒業した人々㉞

【要約】

この記事では、宗澤政宏氏が運営に携わっている日本写真映像専門学校の卒業生の活躍をご紹介しています。

 

【はじめに】

宗澤政宏氏が運営に携わっている日本写真映像専門学校は、長年にわたって写真界に数多くの優秀な人材を輩出してきたことで知られています。

今回も、過去の記事に引き続いて、そんな日本写真映像専門学校の卒業生のなかからピックアップして、その方の活躍をご紹介していきます。今回ご紹介するのは、浅田政志さんです。

 

【写真集の撮影を通して、家族の仲が深まった】

浅田さんの写真集「浅田家」は、家族の方々が様々な職業に扮した姿で撮影がおこなわれました。はじめの頃は、昔の思い出を再現していたのですが、すぐに再現したい思い出が無くなり、ネタに困ってしまいました。

しかしながら、写真を撮りたいという気持ちは高ぶっていたので、そこで思いついたのが「職業」というテーマでした。たとえば、消防署に行って、消防士がたくさんいるなかで撮影をしました。

 

どのようなシチュエーションで撮影をおこなうかは家族で相談して決めました。

シチュエーションは無限にありますが、「家族4人でやって成立するのか?」「ネタが被っていないか?」「果たしてそれを撮って面白いのか?」などの基準で判断しました。

途中からは浅田さんのお兄さんが「知り合いにこういう友だちがいる」「こんな撮影場所もあるよ」といった提案をしてくれたり、お父さんが「次はこれが良いのではないか」と言ってくれたりしたそうです。そのアイディアのなかには「それ、良いね!」となるものもありましたが、ほとんどは「いや、ちょっとそれはどうなの?」となってしまうものばかり。

 

しかしながら、このように家族でシチュエーションを相談しあうことには新鮮味を感じたといいます。もちろん、浅田さんが自身で「こういうシチュエーションで、こういう風に撮影するぞ」と決めれば、その通りに撮ることはできますが、その場で意見が交わされたり、家族がどんどんのっていったりと、撮影の最中にみんなが楽しく感じるためには、浅田さん考えに当てはめるだけではダメだといいます。その場で生まれたノリや、家族での意見の出し合いを経て生まれた作品の方が面白く、雰囲気も良くなるのです。カメラのアングルに関しても、やはり最初に決めた場所よりも、「こっちの方が良いじゃん!」とカメラや人の位置を見て、その場で微妙に調整していく方が、より良い作品が生まれると感じたそうです。

 

しかし、いざアングルを決めても、1枚でばっちり撮影が終わらせることは難しかったそうで、「いや、お母さん、目をつぶってるじゃん!」といったことが頻繁に起こるのだとか。全員の表情がピッタリ合う瞬間をとらえようとすれば、100本ノックのように「はい、もう1回、もう1枚」を繰り返すしかなく、作品の完成には家族の協力が欠かせませんでした。1つのシチュエーションで、平均30~50枚ほどを撮影するのですが、ばっちり成功するのは1枚だけで、あとは全部良くないものばかり。

成功した1枚だけを写真集に掲載するわけですが、もし失敗した作品を採用していたら、きっと写真集はつまらない作品になっていただろうと振り返ります。

まさに「奇跡の1枚」の積み重ねが生み出した、「奇跡の写真集」なのです。

 

【さいごに】

はじめは日本写真映像専門学校在学中に出された課題をクリアするために始めた家族での撮影でしたが、次第に単なる作業ではなく、家族の仲も深まっていきました。

写真には、人と人を結びつける力があります。日本写真映像専門学校と宗澤政宏氏は、これからも写真を通してさまざまなことを成し遂げられる、素敵な写真家を育成し続けることでしょう。