宗澤政宏がお届けする、社会貢献に関する紹介

日本写真映像専門学校を卒業した人々㊶

【要約】

この記事では、宗澤政宏氏が運営に携わっている日本写真映像専門学校の卒業生の活躍をご紹介しています。

 

【はじめに】

宗澤政宏氏が運営に携わっている日本写真映像専門学校は、長年にわたって写真界に数多くの優秀な人材を輩出してきたことで知られています。

今回も、過去の記事に引き続いて、そんな日本写真映像専門学校の卒業生のなかからピックアップして、その方の活躍をご紹介していきます。今回ご紹介するのは、梅佳代さんです。

 

【東日本大震災をきっかけに廃校となった学校の生徒を撮影してきた梅佳代さん】

2011年の東日本大震災で被災した那須高原海城中学・高校の最後の卒業式がおこなわれました。場所は避難場所である東京で、最後の卒業生となった学生たちは計8人でした。

 

梅さんは、彼らが中学生だったころからカメラを通して見守ってきました。

梅さんが初めて同校の生徒の写真を撮るようになったのは、震災が起こる前の2010年のこと。那須高原で開催されたアートイベントの取材で、那須町にあったキャンパスを訪れたことがきっかけでした。当時の印象は「立派な建物で、外国のような雰囲気だった」といいます。震災が起こった後、学校をテーマにしてウェブで紹介しようという企画が持ち上がり、その候補として那須高原海城が挙げられました。

生徒たちは、東京・多摩の廃校になった校舎に避難しており、仮校舎として利用していました。学校や保護者の方などに了承を得て、梅さんを含めた数人の写真家で生徒たちの表情をカメラに収めていきました。

 

シリーズは1年続いて終了しましたが、梅さんはその後も学校に通い、写真を撮り続けました。来校するたびに生徒たちとの距離が徐々に近づくなかで、梅さんは生徒たちの成長に気が付くようになります。「行くたびに生徒の印象が違ってくるのが目に見えてわかるのがおもしろかった」と振り返ります。

 

2012~2016年の期間、年1-2回のペースで訪問を続け、生徒の表情を撮りためてきましたが、それをまとめた写真集「ナスカイ」を出版することになりました。

「ナスカイ」とは栃木県にあった全寮制の男子校、那須高原海城中学・高校の愛称で、2011年の東日本大震災で被災し、2017年3月に廃校となりました。

「女の子としゃべったことあるの?」「何に興味ある?」などと自然に話しかけながらカメラを構える梅さん。勉強風景はもちろん、クラブ活動や文化祭まで、母校の那須キャンパスから遠く離れた場所でもたくましく成長を続ける中高生たちの姿が収められています。

丸がたくさんついた答案用紙をうれしそうに広げていたり、友達同士でおどけたポーズを決めていたり。卒業式の集合写真でも笑顔は絶えません。何でもない青春の一ページに特別な一瞬がにじんでいます。

 

中学時代の生徒が3年間で大きく変化を遂げたことが如実にわかることも写真集の面白さです。最初はあどけない表情だった男子学生が、次第に大人びていく様は、まさに10代の男子の成長の記録です。梅さんは「彼らは周囲が抱きがちな悲壮感などなく生き生きと生活していた。男の子の成長の記録として読んでくれるとうれしい」と話します。

 

開校以来、生徒たちを指導してきた塩田教頭は、生徒たちの自然な姿を撮影した梅さんに感謝しているといいます。最後の卒業生となった生徒たちに対しても、「後輩が不在のなかで、自分たちが最後のナスカイの生徒であるという自覚をもって過ごしてくれた」と感謝の意を話しています。

 

【さいごに】

自然体の子供たちの表情を撮ったら右に出るものはいない、とまで評される梅さん。そんな梅さんを輩出したのが日本写真映像専門学校であり、その運営に携わっているのが宗澤政宏氏なのです。今後の宗澤政宏氏の活躍にもご期待ください。