【要約】
この記事では、宗澤政宏氏が運営に携わっている日本写真映像専門学校の卒業生の活躍をご紹介しています。
【はじめに】
宗澤政宏氏が運営に携わっている日本写真映像専門学校は、長年にわたって写真界に数多くの優秀な人材を輩出してきたことで知られています。
今回も、過去の記事に引き続いて、そんな日本写真映像専門学校の卒業生のなかからピックアップして、その方の活躍をご紹介していきます。今回ご紹介するのは、浅田政志さんです。
【震災後、被災地を訪れた浅田さん】
2011年3月11日に発生した東日本大震災。浅田政志さんは、被災地で写真の洗浄ボランティアに携わったことをきっかけに、東北に向き合うようになりました。写真を通して東北の人々と接するなかで、様々なことを感じたといいます。
浅田さんは震災が発生した1か月後、青森県にボランティアのため訪れました。浅田さんは三重県で生まれ東京で活動していたため、東北にはほとんど行ったことはありませんでした。しかし、浅田さんの知人が青森県に住んでいたため、青森県に向かうことにしたのです。震災発生から1か月が経過していたということで、浅田さんが訪れた青森県の街はある程度落ち着きを取り戻しつつありましたが、「もっと被害の大きいところに行くべき」という助言を受けた浅田さんは、青森県から南下し、岩手県野田村へと赴きました。
【「写真洗浄ボランティア」に携わる】
浅田さんはその村で全国から届けられた支援物資を運ぶボランティアに従事します。体育館には、衣服や暖房器具などが運ばれてきており、被災者の方の要望に合わせて物資を振り分けていきました。
1日作業を終え、帰ろうとした矢先、ふと体育館の横で写真を洗う若者たちの姿を目にします。寒空の下で、ひたすら作業に取り組む彼らに出会った浅田さんは、翌日から写真洗浄ボランティアのお手伝いを始めたのです。
写真洗浄、という言葉はあまり聞きなれない単語かもしれませんが、実は、写真は意外と水に強く、普段でも指紋が付いたときに写真を水に潜らせることもあるそうです。
ただ、写真洗浄ボランティアにとって一番問題だったことは、せっかく写真を洗っても、きれいになった写真を持ち主に届ける方法が無かったことでした。初期の頃は、写真を数枚ずつ束にしてアルバムに入れ保管しましたが、それでは写真を取り出す際に、1枚1枚チェックしなければならないため、被災された方にとっては負担となり、結果的に写真の返却率は低かったそうです。そこで浅田さんのチームでは、ボードに写真を張り付けて一覧できるような形に仕立てました。すると、さっそく持ち主が現れるなど効果を発揮。その後も、「家族アルバム」「結婚式」などジャンルを分けるなどして、いかに写真を持ち主に届けるかを試行錯誤したといいます。
【写真洗浄を通して、震災被害の大きさをリアルに感じた】
浅田さんは、ボランティアを通してはじめて震災被害の現実をリアルに感じたと話します。ニュースや報道では被害の大きさは伝えられており、大変な事態になっていることはもちろん知っていました。しかし、汚れた写真を1枚ずつ洗浄するなかで、知らない家族写真に写る人々の顔を見つめるにつれて、「知らない人の写真を洗うなんて、普通はならあり得ない行為だな」と感じ、またひとりひとりの生活が震災によって突如奪われてしまった…、その事実を痛烈に感じたそうです。
【さいごに】
写真洗浄のボランティアを通して震災被害の大きさを感じたという浅田さん。写真には様々な力があるということが分かります。日本写真映像専門学校と宗澤政宏氏は、これからもそんな写真の力を学生たちに伝え続けることでしょう。