宗澤政宏がお届けする、社会貢献に関する紹介

日本写真映像専門学校を卒業した人々㊾

【要約】

この記事では、宗澤政宏氏が運営に携わっている日本写真映像専門学校の卒業生の活躍をご紹介しています。

 

【はじめに】

宗澤政宏氏が運営に携わっている日本写真映像専門学校は、長年にわたって写真界に数多くの優秀な人材を輩出してきたことで知られています。

今回も、過去の記事に引き続いて、そんな日本写真映像専門学校の卒業生のなかからピックアップして、その方の活躍をご紹介していきます。今回ご紹介するのは、桑島秀樹さんです。

 

 

【まるでCG?精密な幾何学模様が魅力の作品を生み出す】

桑島さんの作品の特徴といえば、パッと見ると曼荼羅なような幾何学模様です。

世界でも大きな評価を受けた「The World」シリーズと、その続編にあたる「Vertical / Horizontal」は、コンピュータを使ったCGでも無ければ抽象絵画でも無く、れっきとした「写真」なのです。光と影が複雑にまじりあう曼荼羅模様は、果たしてどのような撮影をすれば作り出せるのでしょうか。

 

そのカラクリは、グラスやデキャンタを使用することにありました。これらをテーブルなどの上に水平垂直に積み重ねていき、シャンパンタワーのようにします。それに後ろからライトを当ててアナログカメラで撮影、それをコンピュータで合成していくというのです。

 

コンピュータで合成、といっても、写真をコピーして左右対称の模様を作り出すという訳ではありません。実は、左右対称の模様は桑島さん自身が手作業でグラスを並べて、ミリ単位まで計算して置くことで実現しているのです。肉眼ではまるでコンピュータで作ったかのように見えますが、その裏には世界を唸らせた桑島さんの精密な技術力があったのです。

 

【写真家を営む家庭で生まれ、日本写真映像専門学校へ進学した】

桑島さんは1964年生まれで、3人兄弟の末っ子として大阪で誕生しました。

実家が写真館を営んでいたため、特に抵抗することもなく家業を継ごうと考えたそうです。

 

いつか写真館を大きなビルにするという夢もありましたが、結果的に家業は兄が継いだため、桑島さん自身はもっと写真の勉強をするために日本写真映像専門学校に入学します。ここで写真のイロハを学び、卒業後は広告系のフォトスタジオに就職しました。

 

 

【フォトスタジオに就職!残業続きの毎日のなかでも、自分への投資を忘れなかった】

就職したスタジオでは、カメラアシスタントとして雑巾がけや機材運びなどの雑用でも進んで取り組みました。

当時はバブルの全盛期であったため、とんでもない仕事量だったそうですが、そんな多忙な毎日のなかで桑島さんが意識していたことは、「毎日少しずつでも自分に投資すること」でした。

 

毎日のように残業で休む暇もありませんでしたが、それでも仕事終わりに10分でも画集を見て勉強をするといったことを続けました。小さな積み重ねですが、1年365日続けていくことで大きな蓄積となっていきました。

 

 

【世界に誇る精密技術を培った若手時代のできごと】

そんな日常を送っていた桑島さんですが、ある日社長から複写の仕事を依頼されます。

建築のパースを撮影して複製するというもので、一見すると難しくない仕事でした。

しかし、桑島さんが完成した写真を見た社長は、ミリ定規で写真と複写を比較し始めたのです。すると社長から「君は丸を丸に、四角を四角に撮れないのか!?」と厳しい叱責を受けてしまいました。最初は簡単そうに見えた仕事ですが、実はモノの水平垂直を正確に撮影することはとても難しい技術なのです。

 

それ以来、桑島さんは「ただ白い紙を撮る」という練習を重ねます。水平垂直が正しいかを何度もチェックし、ひたすらフレーミングに集中したのです。

すると1年後、社長から再び複製の仕事を依頼されたときには、なんと社長から1発OKをもらえるまでに腕があがっていました。桑島さんが世界に誇る技術は、この地味な練習に裏打ちされていたのです。

 

【さいごに】

日本写真映像専門学校と宗澤政宏氏は、これからも桑島さんのように世界で評価される写真家を育てていくことでしょう。