【要約】
この記事では、宗澤政宏氏が運営に携わっている日本写真映像専門学校の卒業生の活躍をご紹介しています。
【はじめに】
宗澤政宏氏が運営に携わっている日本写真映像専門学校は、長年にわたって写真界に数多くの優秀な人材を輩出してきたことで知られています。
今回も、過去の記事に引き続いて、そんな日本写真映像専門学校の卒業生のなかからピックアップして、その方の活躍をご紹介していきます。今回ご紹介するのは、浅田政志さんです。
【被災したカメラが集められ、持ち主を待っている場所がある】
宮城県気仙沼の海岸近くに、「写真救済プロジェクト」の拠点となっている場所があります。この場所は以前には体育館だったのですが、気仙沼の方々の熱い気持ちによって写真救済の場として立ち上げられたのです。
浅田さんはこの地を訪れた際に、建物の2階で持ち主を待っているカメラが並べられているところを撮影しました。ブルーシートのうえには震災で汚れてしまったカメラが置かれていました。カメラの泥はきれいに落とされて元の姿のように見えますが、本体のなかは浸水しており、おそらく正常に動くことはないだろう…と浅田さんは考えてしまいました。
しかし、それぞれのカメラには持ち主が存在していたはずです。写真というものは、人々の記憶を思い出させてくれる大切なものであり、そして数々の写真を収めてきたカメラ本体もまた写真と同じくらい思い出深いものです。だからこそ、汚れて動かなくなっているカメラだとしても、人々の思いやりによって各地から集められてこの場所に集められているのだ…と浅田さんは改めて認識したそうです。
【被災地からの真心こもった贈り物に感動した】
宮城県山元町にも、写真を救済するプロジェクトの拠点になっている場所がありました。それが山元町役場の近くにあった「ふるさと伝承館」です。
震災直後から、汚れた写真を救済する拠点として機能しており、浅田さんも何度も足を運んだ場所でした。そこで話を聞くと、「少しずつだが、震災の前の姿に戻りつつある」と教えてもらいました。
そもそもこの建物は伝承館というネーミングの通り、伝統工芸や郷土芸能の継承を目的とした活動をする人が集まる場所でした。浅田さんが訪れたその日は、はたおり愛好会が活動をする日だったため、その活動を見学させてもらいました。
部屋のなかに入ると、木製の織機がずらりと並んでおり、機械の音と人々の声でにぎわっていました。大きなカメラを担いだ浅田さんが珍しかったのか、みんなが浅田さんに話しかけてくれ、はたおりのやり方を実際に教えてくれるなど楽しい時間を過ごしたそうです。
そんなことがあったなか、ある日東京にある浅田さんの自宅に大きな紙袋が郵送されてきました。送り主は、なんと「はたおり愛好会」からでした。
袋を開けて中身を見てみると、手織りの暖簾とクッションが入っており、手紙も添付されていました。濃紺色の暖簾は浅田さんの自宅にもピッタリ合うサイズ感で、クッションにはハートの刺繍があしらわれていました。浅田さんが新婚だという話を覚えていてくれたのか、一織りずつ丁寧に編み込まれていました。
被災をしてつらく苦しい生活をしているのは、はたおり愛好会のみなさんの方であるにも関わらず、彼女たちから逆に思いやりを受けたことに浅田さんは非常に感銘を受けたといいます。せわしない日常に追われて周りを見る余裕を失っていた浅田さんにとって、この真心こもった贈り物は大変貴重な思い出となりました。
【さいごに】
日本写真映像専門学校と宗澤政宏氏は、これからも浅田さんのように、写真を通して社会貢献する素晴らしい人々を育成し続けることでしょう。