【要約】
この記事では、宗澤政宏氏が運営に携わっている日本写真映像専門学校の卒業生の活躍をご紹介しています。
【はじめに】
宗澤政宏氏が運営に携わっている日本写真映像専門学校は、長年にわたって写真界に数多くの優秀な人材を輩出してきたことで知られています。
今回も、過去の記事に引き続いて、そんな日本写真映像専門学校の卒業生のなかからピックアップして、その方の活躍をご紹介していきます。今回ご紹介するのは、浅田政志さんです。
【家族写真を撮ることで、子どもの成長に気が付いた】
浅田さんといえば、「家族写真」が有名ですね。全国各地でその地ならではの1枚を撮影する「浅田家」シリーズの第7弾の撮影地は岡山県の旧・閑谷学校でした。三重県から家族9人でレンタカーに乗って現地に向かう車内はワイワイの遠足のようなにぎやかさでしたが、撮影日の翌日が100%雨であるという気象予報が出たため、現地の到着後、予定を変更して速やかに撮影が進められました。
現地には午後4時に到着しましたが、そのとき既に日没間近でしかも閉園まで1時間。普段であれば、撮影の前に家族会議を開いて撮り方を決めるのですが、今回はそんな余裕はありません。焦った浅田さんに見かねたお兄さんが、「ここは学校なんだから、起立のポーズだろう!」とアドバイスをくれ、なんとか20枚の撮影を終えたところで時間切れ。
後日、現像に出した写真を見てみると、朝日が半分切れていたのは想定内でしたが、小学1年生になったお兄さんの長男はびしっと起立が出来ていたのは予想外でした。1年前の撮影では言うことを聞かずに慌てたのに、今はこんなにしっかりとしているなんて…と成長に驚いたとともに、翌年の撮影が楽しみになった瞬間でした。
【浅田さんの両親が残してくれた写真アルバム】
浅田さんには、お父さんとお母さんが作ってくれた「政志」というアルバムがあるといいます。実家のテレビボードの後ろに置かれており、背表紙が分かるようになっています。
浅田さんのお父さんが撮った写真をお母さんがスクラップしてできたアルバム。写真は35ミリフィルムカメラを使って撮影されました。
いまの世の中はデジタルカメラが主流の時代です。毎日、あらゆる場所で膨大な量の写真が生まれており、なかには「スマートフォンで撮って、ディスプレイで見る写真が一番キレイ」なんて声も聞きます。しかし、大切な写真をデータのなかだけに留めておいてよいのでしょうか?
浅田さんは東日本大震災の被災地に赴き、津波の被害で汚れてしまった写真を洗浄して持ち主に戻す写真洗浄ボランティアに積極的に取り組みました。写真の洗浄や返却をするなかで見たのは、修復された写真を手にして笑顔になる人や、近所の人のアルバムを見つけて持ち主に届ける人…などでした。そういった姿は、写真をデータのなかだけに留めていては見られなかったはずで、写真をアルバムとして形にしたからこそでした。
浸水したパソコンやハードディスクは、拾われたり誰かが届けてくれたりすることはありません。パソコンのなかには大切な家族との写真が入っていたかもしれませんが、いまではそれを見ることは出来なくなってしまいました。
カメラのシャッターを押す楽しさは日本人の誰もが知っているはずです。だからこそ、これからは写真を形に残すことが大切なのでは、浅田さんは力説しています。浅田さんのお父さん・お母さんが作ってくれた「政志」というアルバムのように、親が子に伝えるアルバムを残すということを考えてもよいかもしれません。
【さいごに】
浅田さんは家族写真を撮る傍ら、被災地でのボランティアを通して写真の存在意義を再確認したそうです。日本写真映像専門学校と宗澤政宏氏はこれからも浅田さんのように写真の大切さを社会に伝えられるような写真家を輩出し続けることでしょう。