宗澤政宏がお届けする、社会貢献に関する紹介

日本写真映像専門学校を卒業した人々55

【要約】

この記事では、宗澤政宏氏が運営に携わっている日本写真映像専門学校の卒業生の活躍をご紹介しています。

 

【はじめに】

宗澤政宏氏が運営に携わっている日本写真映像専門学校は、長年にわたって写真界に数多くの優秀な人材を輩出してきたことで知られています。

今回も、過去の記事に引き続いて、そんな日本写真映像専門学校の卒業生のなかからピックアップして、その方の活躍をご紹介していきます。今回ご紹介するのは、渋谷利雄さんです。

 

【祭りの記録者としての活動を続ける】

 

「祭り」という言葉を聞くと、一般的には市や町が企画運営する大規模なものをイメージしますよね。しかし、石川県・能登には、そういった大規模な祭りだけではなく、もうひとつの祭りがあります。

 

それは、田んぼや海の神様に対して感謝の気持ちを示す祭りで、それは集落や家族ごとにおこなわれ、しかも時期や様式もそれぞれ異なるのです。「アエノコト」と呼ばれるこれらは、2009年にユネスコの世界無形遺産にも登録され注目を集めたことも記憶に新しいのではないでしょうか。すべての祭りを合計すると800以上にのぼるといわれており、こういった事情から、能登は「祭りの国」とも呼ばれています。

 

渋谷さんはこの能登の祭りについて400以上写真を撮ってきました。渋谷さんは、「人口あたりの祭りの数は、能登が日本一だと思う。能登にとって祭りは欠かせないもので、都会に出てしまう若い人にも「祭りのときだけは帰ってきな」と声をかける」といいます。

 

400以上の祭りを見てきて、いまだに祭りへの関心が消えないのは、能登の歴史が関係していると渋谷さんは話します。

能登半島は日本海に突き出た形になっていて、大陸から流れ着く人が昔から多かったということで、中国や朝鮮の文化が流入しやすい地形になっていました。そのため、集落や地域ごとに異なる個性を持った祭りの文化が生まれ、今日まで続く多様性をもたらしたのでは、と渋谷さんは分析しています。

 

渋谷さんが祭りの写真を撮り始めたのは、渋谷さんが子どもだったときから祭りが身近なものだったからという何気ない理由でしたが、50年以上祭りを追いかけ続けてきてもまだ飽きずに新たな発見に出会えるそうです。

 

漁の成功や無病息災、収穫への感謝など、さまざまな目的でおこなわれる祭り。膨大な数にのぼる祭りは春夏秋冬を問わず開催されており、渋谷さんはそれらを常に記録し続けていますが、撮影の楽しみはその地の人に出会えることにあるといいます。

 

能登の祭りは集落や家族ごとにおこなわれますが、それらの情報はインターネットなどで集約されているわけではありません。祭りで出会った人に別の祭りの情報を教えてもらい、また祭りに行ったり、仲良くなった人の自宅に招いてもらって祭りに参加したりと、地道な方法でしか巡り合うことができません。しかし、逆にいえば、祭りは大勢の人と仲良く知り合うことの出来るチャンスでもあり、そこで出会った人々と喋ることが渋谷さんにとっては大きな楽しみとなっているのです。

 

祭りでの出会いを求めて各地を飛び回ってきた渋谷さんには「祭りおじさん」というあだ名がつきました。しかし渋谷さんは、近年の祭りに対して危機感を抱いていると話します。能登の過疎化が大きく進展しているからです。上記で述べたように、能登の祭りは集落や家族ごとのものであり、人から人へと伝承されていくものです。

 

そのため、過疎化によって人がいなくなると、当然祭りも無くなってしまいます。また、祭りの担い手が高齢化していることで、祭りが簡素になりつつことも問題です。祭りの開催を毎年ではなく隔年にしたり、手順を簡略化したりといったことが起きており、祭りの豊かさが失われつつあるといいます。したがって、祭りが徐々に消えつつあるいまだからこそ、渋谷さんのような祭りを記録する仕事がたいへん重要になってきているのです。

 

【さいごに】

宗澤政宏氏と日本写真映像専門学校はこれからも優秀な写真家を多く育てていくことでしょう。