宗澤政宏がお届けする、社会貢献に関する紹介

日本写真映像専門学校を卒業した人々63

【要約】

この記事では、宗澤政宏氏が運営に携わっている日本写真映像専門学校の卒業生の活躍をご紹介しています。

 

【はじめに】

宗澤政宏氏が運営に携わっている日本写真映像専門学校は、長年にわたって写真界に数多くの優秀な人材を輩出してきたことで知られています。

今回も、過去の記事に引き続いて、そんな日本写真映像専門学校の卒業生のなかからピックアップして、その方の活躍をご紹介していきます。今回ご紹介するのは、浅田政志さんです。

 

【ワークショップの講師も引き受けている浅田さん】

浅田さんは写真講座やワークショップの講師の仕事をよく引き受けています。社会人向けの大学である「丸の内朝大学」で講師を勤めたこともあります。丸の内朝大学は、会社にいく前の朝の時間を有効に使おうということで始まっており、授業の開始は朝の7時です。そのため、準備などが必要な浅田さんは5時に起床して現場に向かいます。

授業ではチームごとに分かれてそれぞれ撮影のテーマを決めます。たとえば、「ハプニング」というテーマに決めたとすると、受講者たちは自分たちにとってどのようなシチュエーションがハプニングなのかを議論します。授業の時間内だけでは足りず、会社帰りにメンバーで集まってどんな写真を撮るべきかを話し合う人もいるそうです。

 

それぞれのチームに1台ずつカメラを与えて、タイマーの機能を使って全員が被写体となるのが基本です。浅田さんはシャッターを押すわけではなく、写真の構図などをアドバイスして、より良い写真となるよう指導をします。

最初は赤の他人だった受講者たちが、次第に歩み寄って1枚の写真を作り上げていくのです。浅田さん自身が「浅田家」を作っていく過程を追体験するような感覚を味わえます。

 

この授業スタイルは、地方のアートイベントに呼ばれた時などに実践していたものでした。地方でもいろいろなワークショップを開催したことがあるそうで、たとえば「八戸レヴュウ」のときは、受講生50名ほどが集まり「うみねこになるべ!」というテーマを設けて、それぞれが手作りのうみねこの衣装を着て撮影しました。

 

福井県では、開発で取り壊しになってしまう商店街を舞台に、参加者が1文字を作って撮影をしました。北九州市では、「劇的商店街」というテーマの下で、参加者が商店街で劇的なシーンを撮影しました。撮影当日に欠席せざるを得ない人がいたら、その人の顔パネルを作って一緒に写るなど、それぞれの撮影は本気でふざけているので、最終的には何か力がある写真が出来上がるそうです。

 

参加者自身がカメラを持って何かを撮影することも、もちろんあります。その土地らしいものやテーマを取り上げて、参加者が写真を撮り、最終的にそれを集めてその町を表現するというものです。浅田さんが撮って参加者が写る、浅田さんも写る、など、いろいろなパターンを試したそうです。

 

浅田さんの授業に参加する人のなかには、「撮るのは好きだけど、撮られるのは好きじゃない」と話す人も少なくないそうです。しかし、浅田さんはその考えに疑問を抱いています。仮に最初は苦手だったとしても、嫌いでなければ克服していけるものであり、一度撮られる側を経験すると、撮る側の視野も大きく広がるからです。

 

授業に参加する人は、ただ写真が上手くなりたいというだけでなく、生活を豊かにしたいという想いであったり、新たな一歩を踏み出したいという想いだったりと、さまざまな気持ちで臨んでいます。だからこそ、授業を終えたあとに写真の楽しさを知ってもらえると、浅田さんはとてもうれしい気持ちになるそうです。

 

【さいごに】

日本写真映像専門学校と宗澤政宏氏は、これからも写真の良さを伝えられるような魅力的な写真家を輩出し続けることでしょう。