宗澤政宏がお届けする、社会貢献に関する紹介

日本写真映像専門学校を卒業した人々75

【要約】

この記事では、宗澤政宏氏が運営に携わっている日本写真映像専門学校の卒業生の活躍をご紹介しています。

 

【はじめに】

宗澤政宏氏が運営に携わっている日本写真映像専門学校は、長年にわたって写真界に数多くの優秀な人材を輩出してきたことで知られています。

今回も、過去の記事に引き続いて、そんな日本写真映像専門学校の卒業生のなかからピックアップして、その方の活躍をご紹介していきます。今回ご紹介するのは、浅田政志さんです。

 

【しかし、奥さんの写真を撮ることは意外に少なかった】

浅田家のシリーズにはもちろん浅田さんの奥さんも写っています。しかし、奥さんの写真が残っているのは浅田家の作品くらいで、普段の生活で奥さんを撮ることはほとんどありませんでした。浅田さんの一番身近にいる存在ではあるのですが、たまに旅行に行ったときに撮ったり、新しいカメラを買った時の試し撮りの相手にしたりといった程度でした。しかし、最近はもう少し奥さんを撮影したほうが良いのではと考えるようになりました。これは作品としてではなく、浅田さん個人の思い出として、浅田さんが60歳くらいになったときに、若いころの奥さんの姿を見たくなるのでは…と考えるようになったことが理由でした。

 

【週1回くらいのペースで、奥さんの写真を撮るようになった】

そんなとき、1日1枚必ず写真を撮ろうと思って新しいカメラを購入しました。普通のフィルムのコンパクトカメラでした。最近、素人のひとでも写真をたくさん撮るようになっていますが、それをまとめることに難しさを感じている人もいるようです。しかし、フィルムで撮って、365日365枚という形でまとめれば、順番にならべるだけでよくなります。この形はいままで浅田さんも取り組んだことがなかったので、1日1枚用のカメラを購入したのです。そんなカメラで、浅田さんは週1回くらいのペースで奥さんを撮るようにしました。頑張って料理を作っている姿や、酔ってソファで寝転がっている姿など、日常的な姿を撮っているそうです。

 

【難病と闘う小さな子供を持つ家族から撮影依頼をもらった】

小さい子どもを2人もつ夫婦から写真撮影の依頼をもらったことがありました。お兄ちゃんが何万人に1人という難病を抱えていました。その子の名前はたっくんといい、「たっくんに元気や勇気をあげられるような写真を」という依頼だったのです。当時の浅田さんよりは少し年上の優しいお父さん・お母さんでした。たっくんの写真も添えられていて、切実な依頼に感じた浅田さんはすぐに撮影に向かうことに決めました。

 

【たっくんに勇気を与えられるような写真を目指した】

たっくんが入院している病院に向かった浅田さんは、その場ではじめてお父さんとお母さんと対面しました。そこで撮影の打ち合わせをして、「たっくん、1歳の妹、お父さん、お母さんの4人の家族写真で、なおかつたっくんに元気と勇気を与えられるような写真」をどのように撮るかを考えました。病状が安定して一時退院できる日があったので、その日をまるごと使って撮影を決行しました。

 

【たっくんを喜ばせるために、恐竜が登場する演出を考えた】

浅田さんが考えた演出はこうです。まず、家族が住んでいるマンションの近くに流れる川で、たっくんと妹が鯉にエサをあげている。そこに、恐竜の恰好をした浅田さんが登場する…。空気を入れた着ぐるみのようなものに入ると全長2メートルくらいのエア恐竜になれ、着たまま歩くこともできるのです。小さい子どもが恐竜に夢中になる時期が誰にでもあるものですが、ちょうどたっくんはそういう時期だったのです。たっくんが喜びそうな演出を浅田さんは考えました。もちろんお父さんとお母さんの了承は得ていますが、たっくんと妹は知りません。

 

【しかし、ふたりが恐竜にこわがってしまい、作戦は失敗した…!】

しかし、いざ撮影を開始すると、普通の街中にはいるはずのない恐竜がいる訳で、たっくんと妹はこわがってしまいました。喜んでほしいと計画した作戦でしたが、むしろふたりを怖がらせる結果に終わり、慌ててなかから浅田さんが出てくるという状況になってしまいました。しかも、その一部始終は浅田さんが恐竜のなかにいたためほとんど撮影できずに終了しました。

 

【さいごに】

日本写真映像専門学校と宗澤政宏氏は、これからも個性的な写真家を輩出し続けることでしょう。