宗澤政宏がお届けする、社会貢献に関する紹介

日本写真映像専門学校を卒業した人々76

【要約】

この記事では、宗澤政宏氏が運営に携わっている日本写真映像専門学校の卒業生の活躍をご紹介しています。

 

【はじめに】

宗澤政宏氏が運営に携わっている日本写真映像専門学校は、長年にわたって写真界に数多くの優秀な人材を輩出してきたことで知られています。

今回も、過去の記事に引き続いて、そんな日本写真映像専門学校の卒業生のなかからピックアップして、その方の活躍をご紹介していきます。今回ご紹介するのは、浅田政志さんです。

 

【たっくんが入院してから、家で家族が過ごす時間が減っていた】

恐竜作戦は失敗に終わりましたが、その後、家に戻って大好きなお寿司を食べたり、電車ごっこをしたりして時間を過ごしました。もともと、撮影のメインは家で撮ると決めていました。というのも、たっくんの病気が判明してから、お母さんはずっと病院で寝泊まりしていました。お父さんは働いていますから、1歳の妹は祖父母や友人にあずかってもらうことが増えていました。そのため、家族が離れ離れになることも多く、4人でいられる時間が少なくなっていたのです。

 

【家で家族がゴロゴロ寝ている写真を撮ろうと決めた】

この家族は畳に布団を敷いて寝ていたのですが、「思い返せば、お父さんが休みの日の朝、お母さんもいつもよりゆっくり寝られて、子供たちと一緒に4人でゴロゴロとしていた時間が一番幸せだった」と気が付いたそうです。そこで、家族みんなでゴロゴロしているような写真が撮れれば良いという話になりました。

 

【家族にとって印象的な「虹」を演出に取り入れた】

ある日、病室にいたたっくんが虹を発見しました。その虹はすぐに消えてしまったのですが、とても印象に残ったといいます。たっくんは長い間病院で生活しており、外に出ることができなかったため、病室の窓から見える空だけが、外の世界を感じることができるものだったのです。

このエピソードを聞いた浅田さんは、撮影のときにみんなでおそろいの白Tシャツを着て、そこにみんなで虹を描くことを提案しました。寝るとつながってひとつの虹になる演出です。絵はその日みんなで一緒に描きました。たっくんも、妹も、お父さん・お母さんも描きました。こうして、ひとつの虹が完成しました。

その日、久しぶりに外で遊んだたっくんはすっかり疲れてしまい、妹と一緒に寝てしまいました。数か月ぶりの自宅での昼寝でした。お父さんお母さんにも川の字に寝てもらい、たっくんを起こさないように静かに撮影をおこなうことができました。

 

【たっくんの撮影を通して、改めて家族に寄り添う写真を撮りたいと思った】

撮影から10か月ほどが経過したとき、三重県立美術館で浅田さんの写真展が開催されました。浅田さんは個展にその写真を飾りました。たっくんの姿はそのときありませんでしたが、お父さん、お母さん、妹の3人が個展に来てくれ、大きなサイズでこの写真を見たのは初めてだと喜んでくれました。

久しぶりの再会で話も弾みましたが、ふとこんな話がでました。写真店に向かう車中、ふと空を見ると高速道路に虹がかかっており、そこをくぐるように通ってきたというのです。そのとき、「いつもたっくんが近くで見てくれている」と気づいたといいます。

それ以降、毎年くれる年賀状には、お父さん、お母さん、妹、新しく家族が増えて弟、そしてたっくんの名前が書かれています。いつまでも家族の一員です。

浅田さんは家族写真を撮影するとき、「これがご家族の望むものなのか…?」といつも悩むといいます。そんななか、たっくんが通院したり手術をしたりするなかで、家で写真を見てくれていたという話を聞いて、あのときの写真がたしかにたっくんに寄り添うことができていたと分かり、浅田さんはとても嬉しかったそうです。これからも、浅田さんなりの方法で、家族に寄り添うような写真を撮っていきたいと気持ちを新たにした経験でした。

 

【さいごに】

日本写真映像専門学校と宗澤政宏氏は、これからも人の心に届く写真を撮れるような素敵な写真家を育てていくことでしょう。